再びわたしのカンヅメ第一夜に話を戻そう。
その夜、わたしは全ウィルパワーを使い果たしつつも、負けず嫌いのボクサーばりに布団から体を起き上がらせた。
以前、脳科学者に「やる気」は実は存在しないと聞いたことがある。その人いわく、人気は行動を開始することでスイッチが入るのだそうだ。だから、「やる気がないからできない」というのは思い込みに過ぎない。それを思い出しながら、眠りに落ちそうになる自分に「とにかく行動を起こすんだ!」と呼びかけた。
さすが、脳科学者の言うことは本当だった。一度書き始めると、また文章が自然に流れはじめ、2時間ほど書き続けることができた。これで一気に全体の3分の2まで来た。
そうして迎えた2日目はまさに勝負だった。その翌朝にはチェックアウトして東京に戻り、娘の学校関係の会に出席しなければならない。
とにかく今日が勝負だと思うと、もはや「やる気がない」とか「やる気を出したい」とかそういう問題ではなかった。
よく眠れたおかげか、思考が普段より冴え冴えとしていて、クリアだった。次に書くべきこと、進むべき道がはっきり見えた。普段ならこの時間は家族の朝食を作ったり片付けたりしているので、まさにカンヅメ効果といえよう。
わたしは散歩も行かず、庭にも出ず、ひたすら孤独に部屋にこもった。庭からは風が入り、遠くからはまた潮騒の音が聞こえてくる。そんな素晴らしい環境のせいか、いきなり“フロー状態”に入った。
つまりは時間が経っているのもわからないような集中状態である。
このフロー状態というのは最高の時間だ。書いていることが苦痛ではなく、ただ流れゆく大きなものに身を任せているような感じがする。
そして、午後の早い時間には、原稿は最終局面に差しかかった。
ああ、もうすぐ終わる。どんな終わりになるのだろうかと思いながらまた流れに身を任せた。
気がつけば最後の文章だった。
そして、最後の一文は自然におりてきた。
うそでしょう! と面食らった。
しかし、本当だった。わたしは書き終えていた。
驚いた。泣きそうだった。
原稿は目の前にあった。