未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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カンヅメは奇跡を生むのか? 小津安二郎のゆかりの「茅ヶ崎館」で書いてみた

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.182 |25 March 2021
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#5茅ヶ崎館のいまむかし

茅ヶ崎館が映画の世界と素敵なマリーアジュを遂げたのは、昭和11年頃だった。その年、松竹の撮影所が東京から大船に移転してきて、たくさんの映画関係者がこの周辺に移り住んだ。
戦争から戻った小津監督も茅ヶ崎がたいそう気に入り、この二番の部屋に逗留しながら、脚本家とともに意見を交わし、のちの『東京物語』ほか多数の名作を生み出した。

あれからずいぶんと時が経ったわけだが、現在の日本映画シーンを牽引する是枝監督は、雑誌インタビューにてこの部屋について語っている。

 「2007年だったかな、小津監督がよく使っていたという海に面した中2階の角部屋で『歩いても 歩いても』の脚本を書いたんです。そしたらこれが良くてね。海の近くで、夜はしんと静かなのだけれど、耳を澄ますと波の音が聞こえる。脚本がはかどりました。以来、作品ごとに1週間から10日くらいここに泊まり、構想を固めるようになった」
(日経ビジネスオンラインのインタビューより)

是枝監督が『万引き家族』でカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを獲得したとき、女将さんの息子であり、五代目オーナーの森浩章さんは「本当に嬉しかった」と語る。

実は25年ほど前に森さんが先代からこの旅館を引き継いだときは、旅館に来る人はビジネスマンが中心だった。しかし、森さんが「映画監督ゆかりの宿」「物書き宿」として打ち出した結果、いまでは是枝監督の他にも、『ゆれる』や『すばらしき世界』の西川美和監督など、映画関係者が多数訪れるようになった。

さらに茅ヶ崎館は、まるごと映画の舞台にもなっている。樹木希林さんの最後の出演映画となった『命短し、恋せよ少女』(ドーリス・デリエ監督作品)は、茅ヶ崎館を全館貸しきって撮影された。

「あれは希林さんが亡くなる二ヶ月前のことでした」と女将さんは思い出す。「希林さんはお体が弱っていたので、お手洗いがある部屋に仮のベッドをしつらえて、泊まりながらの撮影になりました。普段は杖をついておいででしたが、一度撮影が始まると杖もつかずにシャキッとしていました」と女将さんが話してくれる。
そんな希林さんが演じたのは、まさに物語の舞台「茅ヶ崎館」の女将役だった。

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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