「大泉町のブラジル人で知らない人はいない」(富樫さん)というマリオさんに、大泉町と日系ブラジル人のリアルについて話を聞いた。
マリオさんが日本に来たのは、前述した入国管理法の大幅改正が行われた翌年の1991年。18歳の時だった。日本に来た目的は仕事ではなく、「おじいちゃんに会いたい」。
幕田さんの祖父母は、7人の子どもを連れてブラジルに移民した。しかし、祖父だけはブラジルの生活が合わず、移住してからおよそ20年後、「日本で頑張って、家族を迎えに来る」とひとりで日本に帰国してしまった。
それから20数年後、福岡で商店を経営するようになっていた祖父は約束通りブラジルに戻り、日本に帰ろうと家族に言った。ところが、家族はすでにブラジルの生活になじんでいて、誰ひとり、日本に帰る人はいなかった。祖父はそれでも諦めきれず、毎年ブラジルに通っては家族に「日本に行こう」と誘ったが、やはり誰も首を縦に振らない。結局、祖父は1981年の訪問を最後に、ブラジルに行くのをやめた。
その当時、8、9歳だったマリオさんは、祖父のことが大好きだったから、ブラジルに来なくなったのが寂しかった。電話で話すことがあっても、「おじいちゃんに会いたい」という気持ちは募るばかり。それで1991年、高校を卒業したばかりの18歳の時、大泉町で働くという名目でビザを取り、日本にわたってきたのだ。
祖父は1994年に亡くなったが、それまでの3年間、ゴールデンウイーク、お盆、年末年始には福岡に通い、たくさんの時間を一緒に過ごしたという。