教えてくれたのは会場のお手伝いをしていた赤松優子さん。彼女は野村に生まれ育った、生粋のスー女。生まれたときからずっと乙亥大相撲を見て来た。
「乙亥に出ると、力士は出世すると言われてます。私が子どもの頃に曙が大関で来て、『次は横綱になって戻ってきます』と言ったら、本当に横綱になって戻って来てくれた」んだそう。
取組の合間には「力飯(ちからめし)」と「御樽(おんたる)」がお客さんにふるまわれる。それを頂くと、これから一年元気で暮らせる縁起物だというから私も手を伸ばした。お赤飯と日本酒。おいしー!
そして土俵では、ゲストで来た相撲芸人のあかつさんが初っ切り(相撲の禁じ手を面白可笑しく見せる出し物)に参加し、地元の還暦力士(!)龍王山とお笑い相撲を見せてくれた。まるで懐かしのドリフのギャグのようで、声を出して笑った、笑った。また、大相撲の幕内力士、勢関も登場し、地元の赤ちゃんを抱っこして土俵入りを披露する「稚児土俵入り」を行った。赤ちゃん1人かと思いきや、次々赤ちゃんが登場して、なんと45人も! 勢関は汗を拭き拭きやってたけど、こりゃ大変だ。
そうこうするうち、椅子に座って一休みする行司さんを見つけた。大相撲と同じ行司の装束を着て、伸びやかな声で堂々と務める。実は乙亥のドンじゃないのか?と思って声を掛けると、
「私は30年、この行司をしております」
と言う。やっぱり! 乙亥の最年長ですか?
「いや、71歳、まだまだ先輩はおります。最初は青年力士で参加し、あるとき『行司をやらないか?』と誘われて始めたんですわ。子どもの頃からなにせ相撲が大好きやで、ラジオでずっと聞いてましたから、行司がどういう風に言うのか全部覚えてたんです。この装束は相撲協会からお古でもらったんですけど、今回も奇跡的に流されることなく無事やったんですわ。私はここで行司を始めてから、東京でアマチュア相撲の審判の資格も取りました。それが建設業の仕事中の事故で生き埋めになってしまい、一人が亡くなり、私も95%死ぬと言われてたらしいです。身体中84か所も骨折して、うまくいっても寝たきりだろうって。でも、もう一回乙亥で行司がやりたい、その思いだけで頑張って、戻ってきました。なにせ、相撲が好きじゃけん。まだまだ、自分がやらなきゃならんかもと思うとります」
相撲が好きじゃけん。乙亥大相撲を支えてきたのは、町の人たちのその思いだ。その思いに、野村の外の人たちも引き込まれていく。そうやって167年続けてきた。
和田静香