「そもそも僕は、“街全体が家だ!”っていう感覚を持っていた」
と大黒さんはバーのカウンターで語り始めた。
ん? それはいったいどういう感覚なのだろう。確かに高円寺には、活気のある商店街も、銭湯も古着屋も飲み屋もギュッと詰まっているわけだけど、彼が言いたいのはそういうことだけでもなさそうだ。
「まだ二十代のときですが、実は、8ヶ月間、“家なし”で暮らしていたことがあるんですよ」
えっ!? 家なし生活?
よく聞いてみると、家を追い出された、とか家賃が払えなかった、というわけではなく、自ら選んで家具などを処分し、借りていたアパートを出たと言う。そして、高円寺の街の知り合いの家を転々としながら、身ひとつで暮らし続けた。
「家とか部屋って、けっこう空いてたりすんですよ。子どもが独立しちゃって、子ども部屋が空いてるという話も多い。そんな街の隙間を狙って暮らしてけるんじゃないかなって」
それは、彼なりの人生の実験だったという。そこで立てた「問い」は、人は街全体を家として暮らしていけるのか? というもの。ルールはとにかく誰にも家賃を払わないこと。そのルールを守りながら、友人の実家や夫婦のマンションの一室を転々とした。家賃は払わない代わり、皿洗いや掃除を手伝った。
「飲みの誘いを断らないっていうルールもありました。そうしたら、ある家では(お酒を)毎日のように飲むので、実はすごい大変でした!」
そうやって、高円寺で暮らした8ヶ月は、“街全体が自分の家になる”という独特の感覚を生み出したという。その後ごく自然に、空き家や、オーナーが夜逃げして空いてしまったバーなど、都会の小さな「隙間」を狙って、アート作品の展示をしたり、イベントスペースを作るようになった。
それにしても、あえて「家を持たない暮らし」をするならば、旅に出るという選択肢もあっただろう。なぜあえて「高円寺」というホームタウンに留まり続けたのだろうか。
「旅に対する憧れがあったんだけど、その時はお店(オルタナティブスペースのAMPcafe)をやっていたので、なかなか旅に出られなくて。でも日々の生活をマンネリ化させずに、新しい一日をエンジョイできないかと考えて、あえて住処を変えるということをやってみた。だから、もう旅のように毎日楽しく暮らしていましたよ」
そうやって高円寺というカオスな街に深く入り込んでいた大黒さんは、ある日、「高円寺でホテルを立ち上げたい」という建築家や事業家など若者3人のグループに出会った。そのチームに不足していたのは、高円寺のコミュニティのことをよく知るアートディレクターだった。それは、まさに大黒さんという存在そのもの。
「僕の考えや思いと彼らの必要とするものがマッチして、出会ってすぐにホテルというよりも、“体験型のアートルーム”を作ろうということになりました」
そうして、他の3人も高円寺に引っ越してきて、「動物園」の仲間入りを果たしたのだ。
川内 有緒