2011年当時は放射線被害について、さまざまな見解が飛び交い、福島市にお客さんを呼んで音楽フェスティバルを行うことについて、共感と同時に「危険だ!」という批判も多くあったという。
そこで会場の放射線量測定に協力してくれた、放射線衛生学の木村真三博士から「表面被曝を少しでも減らすという意味で、芝生の会場を大きなシートか布で覆ってはどうか?」というアドバイスがあった。表面被曝を減らすという意味だけでなく、福島へ来てくれるお客さんへのおもてなしの気持ちも込めて、見た目にも美しいものにしようと、建築家のアサノコウタさんや美術家の中崎透さんたちが中心となり、たくさんのボランティアとともに、全国の支援者から届いた布の山をつなぎ合わせ、巨大なパッチワークを作った。それは6000㎡の面積をも覆えるほどの大きさになった。
これが今では『福島大風呂敷』と呼ばれているパッチワークの誕生だった。そしてこの大風呂敷の上で、初めての『フェスティバルFUKUSHIMA!』が行われ、県内外から1万3千人が訪れたのだった。
それから毎年8月に『フェスティバルFUKUSHIMA!』が行われるようになった。3年前には代表が大友さんたちから、山岸さんへと引き継がれた。
そして時間とともに深刻な放射線の表面被曝の心配がなくなっても、この『福島大風呂敷』がなくなることはなかった。時には旗になったり、祭りの櫓に飾られたりと、『フェスティバルFUKUSHIMA!』では今でもこの大風呂敷が使われているし、ボランティアの手によって新しいものも作られているのだという。
朝くぐってきた門にはためいてた布や、旅館の中に飾られているものも、みな、この『福島大風呂敷』なのである。大風呂敷は『プロジェクトFUKUSHIMA!』を象徴するアイコンとなっていったのだ。
さて年を重ね『フェスティバルFUKUSHIMA!』は、福島市の夏の恒例行事となっていった。3年目からは大友さん作曲のオリジナルの盆踊り音頭『ええじゃないか音頭』も生まれた。
さらにこの頃から、予想外のことも起こり始めた。各地のお祭りや芸術祭に『フェスティバルFUKUSHIMA!』が呼ばれるようになっていったのである。そしてどこの町に呼ばれても、この大風呂敷はボランティアによって作られ、広げられ、人々はその上で『ええじゃないか音頭』を踊った。
昨年参加した『札幌芸術祭2017』でのクロージングイベントでは、その大きさはなんと1万㎡にもなったという。
福島の人だけではなく、日本に生きる私たちに分断をもたらした震災による原発事故、そしてそこから始まった『フェスティバルFUKUSHIMA!』。
「自分たちが掲げた『福島と未来を発信する』というテーマは、まさに大風呂敷を広げるようなことだったかもしれない。だけれど、その大風呂敷で包まれるのにふさわしいものを作ってやろうじゃないか、という思いを、いつもみんなで持ち続けているんです」と山岸さんは教えてくれた。
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松本美枝子