未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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すべてひとりで、手作業で。

焼き物の町で理想の糸を紡ぎ続ける織物職人

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.111 |10 April 2018
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#6つくる喜びを感じながら

箱田さん専用のはたおり機。大切に使われてきたことがわかる。

 箱田さんの宝物、はたおり機を見せてもらった。小さな部屋の半分以上を占める織り機は、小柄な箱田さんの身体に合わせた特注品。独立するときに、日下田先生のものと京都の知り合いのものの良いところを合わせて作ってもらったそうだ。全身を使う織りの作業は肩や腰を痛めがちだが、箱田さんは身体に合ったはたおり機のおかげか痛いところがないという。

 木でできたはたおり機は、独立してからの長い月日を感じさせる渋い色合いで、ギーカタンという機を織る音も心地良い。このはたおり機とともに作品を作り続けて45年。飽きてしまったり、辞めたいと思ったことはないのか。

「一度もない。だって楽しいんだもの」

 即答だった。かと言って、辛いことがないわけではない。仕事の内容は、染めのときには何リットルもの水を使って糸を何度も洗うなど、体力的にきついものも多いという。体調を崩して休まなければいけない時期もあった。

「同じ日下田先生の生徒だった人たちも、ずっと続けている人ってすごく少ないの。だから教えてくださいって来てくださる方もお断りしているんです。やっぱり色々な条件が揃わないとこれだけで生活していくのは難しいし、女性は家庭に入るとなかなか続けていかれないのね。私の場合は、夫が応援してくれたから夢中でやることができたんです」

 新聞記者だったという旦那さんが外に出ているあいだに、箱田さんも織物に専念できた。「好きなら、やりなさい」と言ってくれた旦那さんに支えられたと箱田さんは言い、十数年前、旦那さんが他界してからも、作品を作り続けた。

小柄な箱田さんの身体にぴったりと合うはたおり機。

「私、織物があってよかったって思います。他にやることがなかったら、きっとボーっとしちゃっていたわね。だから健康で、できるあいだはずっと織り続けたいの」

 すべてひとりで、手作業で。気が遠くなるような工程を丁寧に説明してくれる箱田さんの話は、いくら聞いていても飽きなかった。ひとつひとつの作業に箱田さんのこだわりと、つくる喜びが見えたから。きれいな細い糸が出来上がったとき、生きている草木から思いもよらない素敵な色が染まったとき、それらが合わさった自分の思い以上の織物ができたとき。そのすべての瞬間が特別で嬉しいものだから、箱田さんは、理想の織物を追い求め続ける。

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未知の細道 No.111

ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。アメリカ留学、インド一人旅などを経験したのち就職。製造業の会社で、日本のものづくりにこだわりを持つ職人の姿勢に感動する。「買う人が、もっと作る人に思いを寄せる世の中にしたい」と考え、現在は野菜販売の仕事をしながら作り手にインタビューをして発信している。刺繍と着物、野菜、そしてインドが好き。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。