未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
111

すべてひとりで、手作業で。

焼き物の町で理想の糸を紡ぎ続ける織物職人

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.111 |10 April 2018
この記事をはじめから読む

#4織物の産地を巡った旅の末

デザインから自分で考えるという箱田さんの作品は、すっきりと洗練されたものばかり。

 糸を紡ぐところから染め、そして織りまでをひとりで行う箱田さん。そのルーツは「自分が着るものを自分で作ってみたい」という思いだった。

 広島の出身の箱田さんは、お母さんの影響で若い頃から着物を着ることが多かったという。蚕の繭からひき出した糸で作られた軽やかな「紬」が昔から好きだったという箱田さんは、大学と洋裁学校を卒業後、紬織りが学べる場所を探して歩いた。旅行が好きだったこともあり、リュックを背負って日本中を旅しながら色々な地域の織物を見て回ったそうだ。

 昔から日常着として親しまれた紬の着物は、その土地や風土によって様々な特徴がある。紬織りの旅の末に箱田さんが学ぶことにしたのは、岐阜県の郡上八幡町で織られる郡上紬(ぐじょうつむぎ)。春蚕(しゅんさん)という春に孵化した蚕の良質な糸を使って織られる郡上紬は、肌触りの良さが特徴だ。箱田さんは郡上紬の第一人者といわれる故・宗廣力三(むねひろ りきぞう)氏のもとを何度も訪れ、郡上紬の研究所に入ることになった。

「やっと織物が学べると思ったのに、そこから2年待ち。入れる人数が少ない上に希望者がとても多かったの」

 すぐにでも織物を始めたかった箱田さんは、宗廣先生の勧めもあり茨城県で結城紬の織りを学びながら2年間を過ごした。結城紬は、鹿児島県の大島紬と並んで二大紬とも呼ばれる紬の最高級品。奈良時代から続く、蚕の繭から手びきした糸で織られる結城紬は、その丈夫さで有名だった。

 茨城での2年間を終え、いよいよ郡上紬の研究所に入るという直前、箱田さんに転機が訪れる。それは、ふと益子町を訪れたことだった。その当時、益子町にある日下田藍染工房の日下田正(ひげた ただし)さんが取り組んでいたウールの織物「ホームスパン」の見学に来たのだ。

「ホームスパンを見た瞬間、『うわあ、素敵!』ってウールがやりたくて仕方なくなっちゃったのね。岐阜の宗廣先生には本当に申し訳ないって伝えて、急遽、日下田先生のところに入ってウールの織りを学ぶことにしたんです。あのとき見学にきたばっかりに、岐阜じゃなくて益子に来ることになっちゃった」

 焼き物の町と言われる益子だが、日下田藍染工房があったことで染色・織物職人の箱田さんも拠点を益子に構えたのは自然な流れだった。「先生もそばにいらっしゃるし、ものづくりの仲間もいるから」と言う箱田さんは、今では分野の違う焼き物職人と共同で展示会をするなど、すっかり益子町の職人だ。

このエントリーをはてなブックマークに追加


未知の細道 No.111

ウィルソン麻菜

1990年東京都生まれ。学生時代に国際協力を専攻し、児童労働撤廃を掲げるNPO法人での啓発担当インターンとしてワークショップなどを担当。アメリカ留学、インド一人旅などを経験したのち就職。製造業の会社で、日本のものづくりにこだわりを持つ職人の姿勢に感動する。「買う人が、もっと作る人に思いを寄せる世の中にしたい」と考え、現在は野菜販売の仕事をしながら作り手にインタビューをして発信している。刺繍と着物、野菜、そしてインドが好き。

未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
きっと、わくわくどきどきな世界への入り口が待っていると思います。