「法のもとで公に人をブン殴れる」
ケンカ台輪ってどんなお祭りですか? という質問にそう答える人がいた。「台輪」とは、神輿に三輪がついているのが特徴で、重さは3トンにもなるという。それが全部で6台あり、両町、泉町、三之町、四之町、下町、上町、6つの町が威信をかけて台輪を動かし、ぶつかり合うのだ。
もう少し具体的に説明しよう。
27日に各町内を出発した台輪は諏訪神社に集められ、29日に各町内へと帰っていくのだが、その「帰り台輪」こそが、別名「ケンカ台輪」。神社を同時に出発した台輪たちは「我先に!」と前を走る台輪を蹴散らし、追い抜き、殴り飛ばし、壮絶な「ケンカ」を繰り広げながら進むのだ。
各台輪には「特別な法被」を着た3人の男たちが乗っている。「頭取」は100人を超える若い衆をまとめるリーダー。「副頭取」がその補佐をして、「小頭」は台輪の舵を取る。この3人は 「華乗り」と呼ばれ、長年の経験者の中から選ばれる。台輪がどれだけ揺れても前のめりで立ち続ける祭りの「華」である。
ヨーエッサ ヨイヤラセ
セーノ ヤレコラセ ドッコイ
セーノセー コレワイサ ヨー ヤーレー
華乗りの合図で「木遣り」を歌うのは、台輪を取り囲む100人の「若い衆」。そのテンションが最高潮に達したとき、本格的な「あおり」がはじまる。
「あおり」とは、台輪の前輪を持ち上げては下ろし、持ち上げては下ろしを繰り返して、台輪を前後に揺り動かすこと。由来は諸説あるが、かつては沼地だった土地を田んぼとして開拓していったのが「新発田」であり、その「地ならし」の意味が込められていると言われている。
ドシャン! ドシャン!
しなる骨組。ゆれる提灯。あおるたびに台輪がギッシギシに軋んで、今にも壊れそうに見えるのだが、そうはならない。江戸時代からの設計術を今に受け継いでいるという。
うなる咆哮、たぎる血気。激しい「あおり」にも、振り落とされることなく声を上げる華乗りと、それに呼応した男盛りの若い衆が全力で「あおり」ながら前に進んでいく姿は圧巻である。
しかし、見所はそれだけではない。台輪と台輪が顔を合わせると「ケンカ」がはじまるのだ。他意はない。そのまんまの意味である。押し合い、揉み合い、殴り合う。100人vs100人の大乱闘は嵐を巻き起こし、黒い塊が渦を巻く。威勢のいい声にまぎれて、「ゴッ!」と鈍いグーの音がする。詰めかけた観客はそのケンカに熱狂し、「行けー!」「ぶっとばせ!」と声援を送る。
カンカンカンッ!
ゴングの代わりに、台輪の底を木で打ち鳴らす。「下がれ! 離れろ!」華乗りが声を張り上げ、「取締」という法被を着た親父たちがケンカの仲裁に入っていく。が、興奮は冷めやらない。とっくに沸点を超えている若い衆は、相手から引き離されながらもなお、殴りかかっていく。
「若い衆、よくがんばった!」
華乗りが声をかけるが、嵐が去った後の戦場は壮絶だ。法被は脱げ、提灯は破れ、全身汗まみれになってゼーゼーと息を吐く男たち。肩を貸されて退場していく人もいれば、顔面に青あざをつくってへたり込んでる人もいる。
日本にまだこんな祭りが残っていたのか。思わずぼくは唸ってしまった。それも一度や二度じゃない。何度も何度もケンカを巻き起こしながら、すべての台輪はひとつの交差点を目指す。そして6台が揃い踏みしたところで、同時に「あおる」。
ドッシャン! ドッシャン! ドッシャン!
地鳴りがするとはこのことである。本当は「ケンカ」ではなく、この「あおり」の力強さで競い合う祭りらしいのだが、観客が期待しているのはやはりケンカかもしれない。さっきまでのケンカの熱が、見ているだけのぼくにしたっておさまらない。やがて、一斉あおりも終わり、1台、また1台とそれぞれの町内へと帰っていく。これで終わりか、と思いきや。
「下町」と「上町」。2台の台輪が帰ろうとしない。
隣町でもある下町(わ組)と上町(一番)は、昔から仲が悪いらしい。若い衆は、台輪を取り囲む「綱」を手放してはいけないルールがあるらしいのだが、そんなものとっくに手放して戦闘態勢に入っている。その一瞬に息をのむ。
ゴクリ、と喉が鳴るより早く火がついた。この日いちばんの大嵐である。文字にはならない雄叫びがあちこちから聞こえてくる。
カンカンカン! カンカンカン!
「一番、いいからこっち向け!」「わ組、ゴラァ、終われ終われ!」華乗りも声を荒げて制するものの、ケンカは一向におさまらない。ぼくの手にもじっとりと汗が滲んでいる。見ているだけじゃ嫌だ、ぼくも舞台に立ちたい、そう思ったそのとき。
「うー! ケンカしてぇ!」
隣で見ていた小さな男の子がそう言った。祭りというのは、町というのは、こうして受け継がれていくのか。ぼくは、その瞬間を見た気がしたのだった。
カッコいい大人たちに憧れて、自分もその輪に加わりたいと思う。それもあるが、地元を代表する祭りという強烈なビジュアルと原体験があることで、地元により深く根ざす記憶が生まれる。実家という家だけじゃない、もうひとつの帰るべき場所が生まれる。祭りが、その場所であり、受け継いでいるのは「帰る場所」なのかもしれない。
そして、新発田まつりはこれで終わりじゃない。盛り上がる台輪ともうひとつ、神輿を担いで神様と対峙する、本当の祭りの終わりがあった。
ライター 志賀章人(しがあきひと)