「スーパーの創業は1965年。野菜・果物の卸売業をしていた祖父が、卸した商品を自宅の軒下で販売したところから始まったと聞いています」
「エンドー」の三代目、遠藤英則さんは、イートイン・スペースの窓際の席に座ってスーパーの歴史を語り始めた。
小売業に事業を拡大したのは英則さんの父、英弥さん。高度成長期で「エンドー」がある山形市長町周辺も宅地開発が進み、お客さんから「あれを入れてほしい、これも扱ってほしい」とお願いされるようになったのがきっかけだという。1982年に店舗を改装してお魚やお惣菜を売り始め、以来、地域密着型のスーパーとして地元の人たちに親しまれている。
1980年生まれの英則さんは、姉二人の後に生まれた長男。小学校の将来の夢に「お店を継ぐ」と書いたものの、働き盛りのご両親と地域のお客さんに支えられたお店を見ながら、自分の将来については比較的のんびりと構えながら成長したという。
「群馬に知り合いがやっているスーパーがあるから、ちょっと行ってみろ」
高校卒業後にパソコン関係を学ぶ専門学校に2年間通っても「これがしたい」という将来像が見えていなかった英則さんを、2000年、父・英弥さんは山形の外の世界に送り出した。
英則さんが向かった先は、群馬県高崎市にあるスーパー「まるおか」。オリジナル性のある経営努力によって小売店としての特性を発揮し、地域社会の消費者から支持を得ている食料品等小売店を表彰する「優良経営食料品小売店等全国コンクール」で最高の農林水産大臣賞を受賞した、業界で注目されているスーパーだった。
「エンドー」も同コンクールで日本経済新聞社社長賞を受賞し、授賞式で「まるおか」の社長さんと面識を得た英弥さんが、「うちの息子をお願いできないか」と頼んだのだ。
「まるおか」の社長さんの信念は「食事は健康から」。全国に散らばる「こだわりの作り手」の商品、醤油や塩やスパイスなどの調味料や、無農薬野菜、無添加のかまぼこなどを集めて販売していた。米ひとつとっても、新潟県魚沼産の天日干しのコシヒカリだけというこだわりよう。ナショナルブランドといわれる大手メーカーの商品は置かないという徹底ぶりだった。
現在でこそ地産地消の地域密着型スーパーや、全国から選りすぐりの商品を取り寄せるこだわりのスーパーは各地にみられるが、2000年当時、「まるおか」の経営は珍しかった。成城石井や明治屋などのスーパー、柿安ダイニングなどの食品メーカーがよく見学に来ていたそうだ。
高崎市の中心から車で20分ぐらい、山あいにあり立地にも利便性にも恵まれていないのに、口コミでやってくるお客さんで「まるおか」は繁盛していた。
「実数は言えないのですが、1日の売り上げ高は地方のスーパーとしては多かったと思います。当時は初めての仕事だったので『このぐらいなのか』としか思わなかったのですが、いまは『まるおか』さんのすごさがわかります」と英則さんは振り返る。
経営の仕方によっては、安くない商品を求めてわざわざ遠方からお客さんが来るんだ。「まるおか」での経験は、食、商品、作り手に対する英則さんの考え方を揺さぶった。