イタリア北部にあるマントヴァ近郊のレストラン「DAL PESCATORE」。
1996年以来ミシュランの星を獲得しているこのレストランを、佐竹さんは日本にいるときから知っていた。ここで修行した日髙良実シェフのレシピ本を読み、「一度食べに行く」というのがイタリア修行の大きな目的だった。
シェフ仲間に紹介されたロンバルディア州ブレーシャ近郊のレストランに行こうと決めたのも、「DAL PESCATORE」とオーナー同士が知り合いだと聞いたこと、そして「DAL PESCATORE」に通える距離だというのが理由だった。修業するうちに、「一度食べに行きたい」は「働きたい」に変わっていた。
ブレーシャの勤務先から「DAL PESCATORE」までの距離は約25キロメートル。佐竹さんは月に1回ぐらいの頻度で、行き1時間、帰り1時間、自転車を漕いで憧れのレストランに通った。
サイクル用の短パンでは三つ星レストランには入れないので、着いたら真っ先にトイレで着替えさせてもらう。
「働きたいと門を叩くシェフのなかで、少しでもインパクトを残すため」の佐竹さんの作戦は結果的に大成功だった。
汗だくで自転車でやって来ては「ここで働かせてください!」という変な日本人の話は、当時厨房で働いていた日本人シェフの友人であった浦上さんの耳にも届いたそうだ。
「ポジションはない」と毎回断られてもめげず、佐竹さんは自転車で通い続けた。そして5回目の訪問のとき、なにかの本で読んだフランスのシェフのやりかたに倣って、オーナーが出てくるまで1時間ぐらい、昼営業中のレストランの入口の前で待ち続けた。
根負けして出てきたオーナーのアントニオは「厨房の日本人女性が来月ぐらいに抜ける予定だ。1カ月後に電話をよこせ」と佐竹さんに告げた。6回目に自転車でレストランに乗りつけ食事が終わったとき、アントニオは言った。「いつから働けるんだ」と。
最初は「変なやつが入ってきた」と厨房のスタッフに疎まれた。1度酔っぱらって「DAL PESCATORE」への愛を力説して気持ち悪がられたチーフシェフのナディアは、「なんでこんな人を入れたの!」と夫のアントニオに抗議したという。
佐竹さんは最終的に10カ月近くを「DAL PESCATORE」の厨房で過ごした。働きはじめこそ方言がわからずに苦労したが、指示が理解できるようになってからは、厨房のメンバーが驚くぐらいの実力を発揮しながら。
イタリアに来て4年、三つ星レストランでの経験も積めた。「いずれ日本に帰る」と決めていた佐竹さんに足りないものは、数多い「イタリア帰り」のシェフのなかで差別化できる「なにか」だった。