「見た感じ、山からおさるさんが降りてきたみたい。言葉はなまってるし、この人大丈夫?って思いました」
「IL COTECHINO」で佐竹さんのビジネスパートナーを務める浦上さんは、佐竹さんとのファーストコンタクトを思い出し、楽しそうに笑った。2003年9月、トスカーナ州アレッツォの語学学校でのことだ。
入学前に「ちょっと下見を」と学校を訪ねた佐竹さんは、道に迷ってしまった。おじいさんに道を尋ねると親切に校舎のなかまで連れて行ってくれたのだが、これが悪手だった。「この生徒は日付を間違えて入学してきた」と学校側は大騒ぎ。事情を説明したくても言葉がわからない。先にこの学校に入学していた浦上さんが呼ばれて通訳をしたそうだ。
人に道を聞くと、案内だけではなく目的地まで連れて行ってくれる。
言葉が通じないときは、周りの人に助けを求めて大騒ぎになる。
私が2000年にイタリアへ渡った当初に何度も経験した「イタリア式親切」を思い出し、あったあった!と、私は思わず猿のおもちゃのように手を叩いてしまった。
語学学校で2カ月勉強したあと、佐竹さんは「料理修行」に飛び出した。
学校で紹介された自転車で40分かかる山奥の食堂を皮切りに、友人シェフが後釜にと声をかけてくれたアレッツォ近隣のお気に入りのオステリア、食べに行ってスカウトされたリグリア海沿いにあるグルメガイド高評価のレストラン、とトスカーナ州内を移動した後は、エミリア・ロマーニャ州パルマ近郊のお城にあるレストランで宴会用の郷土料理を学んだ。
いろいろな地域の郷土料理を覚えるために半年に1回はレストランを変える、と決めていた佐竹さんは、6年間のイタリア滞在中、6州10軒のお店で働いた。
ただ、憧れのレストランに入り込むのは、そう簡単ではなかった。