「一回日本を出てみたい、海外に行ってみたいという気持ちはずっとあったんです。そろそろ戻ってこないかという話もあったので、その前にと思って」
4年勤めたユニ・チャームを辞めた後の2009年、小嶋さんは食品の輸入卸売を行う企業に入社してニューヨークに渡った。アメリカ人が「ニューヨークはアメリカじゃなくてニューヨークだ」というぐらい、世界中から集まった人のエネルギーがあふれる街のことを、小嶋さんは「すごくオープンな場所」と表現した。英語がネイティブでない人がアメリカのなかで一番多いこの街で、小嶋さんはどんな生活を送ったのだろうか。
「外国人として生活するのは初めての経験だったので、割と楽しかったです。別の文化圏に出て、自分の輪郭が見える部分があるんでしょうね。自分が持っている日本人性みたいなものを客観視できて、良くも悪くも日本人と日本人以外の境界線がわかりました」
具体的にどんなところが日本人らしさかと尋ねると、小嶋さんからは「きめ細やかさ、仕事のクオリティに対しての厳しさ、相手に対する配慮ですかね。それに、文房具のクオリティ(笑)」という答えが返ってきた。加えてアジア系全体に対して言えるかもしれないが、食に対する意識が高いという。
逆にマイナス面と感じるのは「同調圧力が非常に強いこと。言語的・文化的にハイコンテクストで意図をくみ取る必要があるので、息苦しくなりやすいし、新しいことを許容しづらい」ことだそうだ。
「外国人として何度か人種差別的な発言をされたこともあり、いいことばかりではなかったです。でも、日本文化から飛び出して、ものごとを具体的に言わなきゃわからないローコンテクストなやり取りに囲まれて、誰も自分のバックグラウンドを気にしないところで暮らす楽しさもわかりました。新しいモードが自分のなかにできたのはすごくよかったと思います」
アメリカで生活をするなかで「日本的な伝統産業のひとつである家業の酒造りを自分でやるのは悪くないな」と思うようになった小嶋さんは、2011年、ビザ更新のタイミングで米沢に戻った。