30歳で役員として入社した家業は、当時赤字に直面していた。端的に売り上げが足りなかったので、商品を作ったり営業に行ったり、小嶋さんはとにかくなんでもやったという。
目の前の売上を伸ばす努力をする一方で、当時から着手していたのが輸出部門の強化だ。当時は台湾1カ国のみへの輸出だったが、1カ国ずつ、現地に信頼できるインポーターを見つけ、タッグを組んで輸出国を増やしていった。2014年には国内外最大の市販酒コンペティション、International Wine Challengeの大吟醸部門で「東光 大吟醸 山田錦」が部門最高賞であるトロフィーを獲得。2011年から2021年の10年間で、海外輸出数量は31倍(金額では68倍)へと伸びた。今では「東光」は世界の20を超える国・地域で楽しまれている。
2015年、小嶋さんは代表取締役社長に就任した。アメリカから戻ってわずか4年。かなり早い世代交代だ。先代や長くいる蔵人さんたちと衝突はなかったんだろうか。
「ぶつかる部分はもちろんありました。右肩下がりの会社を引き上げるということは、今までのやり方を片っ端から否定していくことですから。今まで社内でよしとされていたことを、一個ずつ否定して、一個ずつ力業で変えていき、それを繰り返す。反対されても説得して変えていきました」
この言葉の通り、小嶋さんが社長に就任してから、小嶋総本店は次々に新たなチャレンジに向き合っていった。
たとえば異分野とのコラボレーション。米沢にゆかりのある武将を描いた人気漫画「花の慶次」とのコラボレーションも、前例がないということでリスク要因を挙げる声もあったが、結果的には第1弾が予約完売するなど、自社だけでは達成できないような販売実績が得られた。
また、数多くあったプライベートブランドの削減にも取り組んだ。売上が右肩下がりだった時はプライベートブランドで売上を補填できる効果もあったが、全体の売上が右肩上がりになると逆にアイテム数の多さから現場が混乱して製品不良なども増加してしまい、ラインナップをスリム化する必要に迫られたためだ。お客さんに喜ばれる話ではないので営業担当の反発を受けたが、酒屋さんや飲食店さんに頭を下げてオリジナルのお酒を終売させていった。最終的には煩雑さからくる不良品が減り、成長余力が生まれたという。
「結果を出せなければ事業は死に向かっていくだけ。それが駄目なら変革は当然通過するべきポイントであって、仲良く穏やかにやっていくという世界の出来事ではなかった」と、小嶋さんは静かに語った。