平安時代に成立したひらがなとともに進化してきた料紙。しかし今では手作業で料紙を作る工房はほとんどなくなった。ゆえに久さんのことを、料紙の真の技術を知る最後の職人とまで呼ぶ人もいる。だがこのような稀少な技術を体得するには、気の遠くなるような時間がかかるという。
「美しい装飾が施してあり、かつ書き味に差がないような滑らかな紙、そういうものが作れるようになるには、30年我慢しろ、と私は祖父に言われました」と、現在61歳の久さん。
「実際、若い時に『あと30年』って言われてもピンとこないですよね。だから20歳そこそこからこの世界に入って、50過ぎたぐらいの時からでしょうか。やっと書き味や墨ののり具合がわかるようになった……っていうのは変ですけど、気になるようになったっていうのは。それまでは、ただ作るだけみたいなことでした」
「だから太郎は貴重な存在になると思います。そんなに将来性のある業界でもないから、本人がやりたいと言い出した時は、複雑な気持ちだったですけど」と久さんは穏やかな口調で続けた。
「自分が仕事を始めたころは、ほんとうに毎日寝ないで作業をしていました。夜中にこっそり親父の仕事場に忍び込んで、材料の加減とか仕事道具とかを見て、こんなもんか、と確認したりして。加減って、教えられてもわからないんですよ。だから太郎に教えられることは、別にないんですよ。まずはやって見せて、あとはこんな感じで仕事してね、といってぜんぶ投げちゃう。職人の技術を伝えるやり方って、見て覚えるしかないんですよ。私も、親から手取り足取りは教えてもらえなかった。自分で経験して、身に染みて覚えないと、次の応用が利かないんですね」
一枚の紙を作るのに、父から子へ、そしてその子へと受け継がれてきた技術ではあるが、それをしっかりと体得するのは自分の努力と指先の感覚でしかない、ということなのだろう。いままた外のかまど小屋へと戻り、ナラの木を炊き続けている34歳の太郎さんが、これからどんな職人になっていくのだろうか、と話を聞きながら思った。