さて、では久さんはどのようにして料紙職人になっていったのだろうか?
「私は高校を出てすぐに、こっちの世界に飛び込んだので」という久さん。
では高校を出てすぐに、この工房で父に弟子入りしたのでしょうか? と問うと思いもよらぬ答えが帰ってきた。
まず、日本書道専門学校で、書のなんたるかを学んだというのだ。ここは書家になるために、書くことに徹する学校だという。「そもそも書がどういうものか、ということがわからないと料紙は作れないんですよ」と久さんは続けた。
書かれてるものの意味や歴史はもちろんのこと、さらには紙の上で墨がどのように伸びるのか、つまり書の書き味ということがわからないと紙は作れない、ということなのだ。料紙とは、ただきれいな紙なだけではなく、その上に美しい書が書ける紙でなくてはいけない。
「お客さんのところにうちの料紙が収まって、それが作品として仕上がった状態になって初めて、終了なんですよ」と久さん。
久さんは専門学校卒業後、木版画の「米田版画工房」に3年間弟子入りした。ここでは有名な摺師(すりし)だったという故・米田稔氏に職人としての心構えを学んだという。ここで摺(すり)の技術を身に着け、簡単な版下(版画の下書き)も自分で作るようになったというのだから驚きだ。
「そうですね。そこまでひとりでやるっていう人は、なかなかいないですね。うちは、祖父がそもそもひとりで何もかもやる、というスタイルで仕事始めて、父も同じようにやって、そして私も同じようにやって... ということなんですね」