長谷川さんによると、一般的な乗馬クラブは競技会などで好成績を残した人がオーナーを務めることがほとんどで、その技術力、指導力を売りにしている。目立つような実績がなにもない長谷川さんは、スタッフと一緒に毎日500枚ほどのチラシを配り歩いた。すると、オープンから1年経つ頃には小さな子どもから高齢者まで100名を超える会員が集まった。
しかし、馬場が海沿いにあったことから、2011年3月の東日本大震災をきっかけに会員数が徐々に減少。2016年にはクラブを閉めることを決断し、その準備を進めながら、長谷川さんはロシアとエストニアに旅立った。
「年も年だし、乗馬クラブをやめた後は馬とともに余生を過ごそうと考えていました。その前に、アハルテケに会いに行こうと思ったんです。乗馬クラブを始めて3、4年した時にアハルテケの存在を知ってから、私にとっては『夢の馬』でしたから、どうしても見てみたかったんですよ」
この2週間の旅が、長谷川さんを想定外の進路に導くことになる。モスクワの空港から700キロほど離れたところにある牧場で初めてアハルテケを前にした時には、ずっと恋焦がれていた人に巡り合えたような気持ちになり、「初めまして、長谷川です。よろしくお願いします」と馬に挨拶してしまいそうなほど浮足立った。
乗馬クラブを開いた時と同じように、運命を感じた長谷川さんは、その牧場にいたアハルテケのなかでもひときわ目を引いたシュメールという名の馬を購入したいと申し出る。思い付きで気軽に変えるような価格ではなかったが、微塵も迷いはなかった。「もう即決でしたね」。この旅を終え、成田空港に着いた時、夫に電話をかけて、こう宣言した。
「馬をやめるのを、やめたから」