晩秋のノルウェーは寒く、キーンと澄んだ空気に包まれていた。原さんは3泊5日という強行スケジュールで、ハーディングフェーレの生まれ故郷であるハルダンゲル地方を訪れた。ちらちらと雪が舞うなか、壮大な景色を眺めながら「フィヨルド」を船で渡ったという。フィヨルドはノルウェー特有の地形で、氷河が崩れて溶けた末にできる湾や入り江のことを指す。山々に囲まれたフィヨルドの光景は、写真で見るだけでも美しさが伝わってくるようだった。
「旅の目的は、本当にハーディングフェーレ職人の道に進むのかを見極めることでした。奏者の力になりたい気持ちはありましたが、僕自身がハーディングフェーレという楽器を好きになれなければ仕事にしていくのは難しいと感じていましたから」
短い旅のあいだ、原さんはハルダンゲル民族博物館(Hardanger Folk Museum)を訪れてハーディングフェーレの歴史を学んだり、実際に職人や奏者と出会ったり、充実した時間を過ごした。博物館で開催されたコンサートにも参加し、ノルウェーの空気を感じながらハーディングフェーレという楽器と、その音色を知っていった。
多くのことが新鮮だった、と原さんは振り返る。ただ、旅のなかではまだ、仕事を辞めてまで新しい国で一歩を踏み出せるのかまでの答えは出ていなかったという。原さんの心境に大きな変化があったのは、帰国して、改めてハーディングフェーレの音を聴いた時だった。
「音色を聴いた瞬間に、ぶわっとノルウェーの光景が浮かんできたんです。目の前にフィヨルドが広がって、その向こう側に見える山には雪が積もっていて。壮大な自然のなかでハーディングフェーレの豊かな音色が響き渡って、遠くの空まで届くような」
共鳴弦の持つ効果なのかもしれない。何重にも音が重なっていくハーディングフェーレの音色が、まるでやまびこのように脳内の景色に響き渡っていったという。これまでもさまざまな楽器に触れてきた原さんだったが、音色を聴いただけで景色が浮かんだのは、この時が初めての経験だった。
「ああ、この楽器はノルウェーという国で生まれた、あの土地に合った楽器なんだなと思ったら感動してしまって。僕はこれを作りたい、とそこで決心がついてノルウェー現地で教えてくれる人を探し始めました」