以前は青函連絡船が接岸する港だったのだが、ここ最近になって埋め立てられ、人口ビーチとして観光拠点になったという、青森駅前のベイエリアを眺めながら、相馬さんは建築物、そして写真や文書などの歴史資料を残していくことの重要性を、とつとつと語ってくれた。
いうまでもなく人間は、歴史を検証しながら進歩し社会を作ってきた。しかしどんなものでも記録が辿れなくなると、人々が社会を作り上げてきた経緯がわからなくなってしまう。そしてそれが、時には社会全体にとって大きなロスになることもあり得るのだ。
私が『青森太郎」のツイートの中で、好きなつぶやきがある。
それは『博物館の収蔵庫が、資料で空きスペースが少なくなっていく。当たり前だろう、長年運営していれば、当然資料は増える。収蔵庫が狭くなったら、増やせば良いだろうに。資料はみな大事なのだから。』というつぶやきだ。
そう。歴史や文化を調査研究する上で、資料は等しく大事なのだ。どんな資料も絶対に捨てられない。データやフィルムを捨ててしまったら二度と同じ写真はつくれないということをよく知っている写真家の私は、もしかしたら人一倍、その気持ちがわかるのかも知れなかった。
これから「歴史の庵」では、相馬さん企画の写真展が始まる予定だ。これまで集めた古写真をカラー化したものを展示する「カラーで蘇る戦前・戦後の青森?自動カラー化技術で白黒写真が大変身?」という展示だ。その準備にいま相馬さんは忙しいのだという。
『カラーで蘇る戦前・戦後の青森?自動カラー化技術で白黒写真が大変身?』公式サイト(*現在は開催中、12/23まで。)
そしてこの旅の話にはおまけがある。なんと私も相馬さんの古写真調査にちょっとだけ、遠くから関わっていくことにしたのだ。考古学調査員で郷土史家でもある相馬さんと写真家がタッグを組んだら、たぶん写真の調査はもっと面白くなるんじゃないかと我ながら思っている。