今から15年近く前、まだ学芸員をしていた相馬さんは青森市内である写真家に出会った。現代の青森市を代表する写真家のひとり、藤巻健二さんである。
藤巻さんは新聞社、東奥日報の写真記者として活躍。フリーランスになってからも青森の人々、風景を数多く切り取りってきた。かの有名な大ヒット映画「八甲田山 死の彷徨」(1977年)のスチール撮影も担当している。
藤巻さんの写真との付き合いは、実は写真記者になるずっと前から始まっていた。今から70年近くも前、青森高校に在学中のころからたくさんの写真を撮ってきたのだ。青森高校の同級生には詩人で劇作家の寺山修司、世界的な報道カメラマン、沢田教一もいた。今は亡き、二人の時代の寵児の学生服姿を収めた写真など非常に貴重な撮影も多いのだ。
実は当時の相馬さんはそのようなことは知らずに、藤巻さんの展示を見に行き、写真の素晴らしさに圧倒されたという。それで「こんなすごい写真家がこの町にいたんだ! この人の作品をもっと多くの人に見てもらいたい」という気持ちが湧き上がってきた。すぐに藤巻さんと連絡を取りたいと思って、会場にいた男性に声をかけ、連絡先を尋ねたところ、なんとそれが当の本人だった。
藤巻さんの写真に惚れ込んだ相馬さんは、青森県立郷土館での仕事を経て、ついには退職後に「奏海の会」から、藤巻さんの写真集を出版。それが『藤巻健二写真集」(発行:青森まちかど歴史の庵「奏海の会」、2018年)である。奏海の会としても初の出版物だった。
この写真集は災害や豪雪の報道写真や、映画のスチール写真、さらには雪のなかで逞しく生きる人々や、青森ねぶたのようすなど青森の普通の人々の暮らしを活写した作品と、それを解説する相馬さんたち研究者や関係者のテキストがふんだんに掲載されている。この本を読むだけでも戦後の青森の人々の歴史がわかる優れた読み物なのだ。
現在、藤巻さんは86歳。相馬さんはつい最近、なんとすべてのフィルムを藤巻さんから譲り受けたそうだ。それは藤巻さんが、相馬さんなら自分が人生をかけて撮ってきた写真をこの先も有効に使ってくれると判断したからなのだろう。
相馬さんは、この膨大な白黒フィルムをスキャナーで変換する日々を送っている。