未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
220

青森の古写真研究 古写真とともに、まちを歩こう!

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.220 |25 October 2022
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#6さまざまなアーカイブの重要性

ねぶたの貴重な3Dデータを、ねぶた制作スタッフたちに見せる相馬さん

昼過ぎて、小雨も止み、日差しが戻ってきた。相馬さんと共に青森の街を実際に歩いて、青森の知られざる歴史を体感してみよう! ということになった。まずは歴史の庵からほど近い、青森のベイエリアに向かった。

最初に訪れたのは「竹浪比呂央ねぶた研究所」。
青森の人々にとってなによりも大切な「青森ねぶた祭」。竹浪比呂央さんは、現代の青森では知らぬ人はいないだろうというほどの有名なねぶた師だ。3年ぶりに観客を入れて開催された今年の青森ねぶた祭でも、竹浪さんが手がけた作品は「ねぶた大賞」に、そして竹浪さんは「最優秀制作者賞」を受賞している。相馬さんは竹浪さんと親交があり、竹浪さんは前述の『藤巻健二写真集』でも、ねぶたの記録写真についてテキストを執筆し、著者一覧にも名前を連ねている。

この日、竹浪さんは残念ながら研究所にはいなかったけれど、若いねぶた制作スタッフたちが、冬のイベント用に雪だるま型の小さなねぶたを作る作業をしているところだった。 ちょうど今年のねぶた祭の運航の記録を細かく撮影し、3Dにしたデータを作っていた相馬さん。若きねぶた制作スタッフたちも相馬さんのスマホからそのデータを見ながら、「なるほどー、こういう記録が残っていると後で細部が確認できるし、役に立ちますねえ」と感心している。
なぜならねぶたは巨大なため、ほとんどは祭の後、廃棄してしまうからだ。そういった意味でもねぶたの記録写真や下絵などの資料は、青森ではとても重要だ。青森ではそれらで展示会をやるほどなのだ。

明治天皇御渡会記念碑

さて、研究所を後にした私たち。「ちょっと面白い場所に行ってみましょう」という相馬さんについて行くと「青い海公園」に辿り着いた。そこには古くて大きな記念碑が経っていた。
これは明治天皇が青森港から函館へ向けて出港したことを記念して建てられた碑なのだ、相馬さんは教えてくれた。青森を出発し、さらに函館経由で横浜へ戻った明治天皇の航海は、現在の国民の祝日の「海の日」の由来となっている。

しかし相馬さんは、「実はここは本当は、その港の跡地ではないのですよ」というではないか。記念碑は別の場所から移転されてきたのだという。
では実際に出港した場所はどこなのだろうか? 数分ほど東に向かって歩くと、公園から外れ、セメント貯蔵倉庫と船が見えてくる。実際はこの辺りが当時の港だったのだと相馬さんはいう。

「このコンクリートのあたりが当時の岸壁だったと考えられています」と相馬さんは、草に埋もれた道端の礎石のような塊を指した。このコンクリートより向こうは海だったのか、と思うと、今よりももっと港が広かった当時の町の様子が朧気ながら見えてくるような気がした。
記念碑を移動してしまったことで、実は町の歴史や、港や道路などインフラの成り立ちがわかりにくくなっている。移転するにしても、もっと解説の掲示などが必要だと相馬さんは指摘する。

当時の岸壁と思われる草に埋もれたコンクリート(左下)
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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
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