未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
220

青森の古写真研究 古写真とともに、まちを歩こう!

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.220 |25 October 2022
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#7太宰治と寺山修司

旧桟橋を背に街の方向へと続く道。

さあ、戦前に桟橋があった今いる地点から、海を背にして町の中心側を見てみよう。
この桟橋があった地点から南に向かって町へと続く通りは、まさに文豪・太宰治が若き日に何度も通った道ではないか、と相馬さんは睨んでいる。
この通りの真っ直ぐ先に、旧制青森中学に通っていた太宰の下宿先があったからである。実際にこの桟橋まで太宰が出かけたことが、太宰の文章のなかにも残っている。

寺山修司が生まれ育った家があった場所。現在はその跡地に説明文が掲示されている。

さらにこの付近の、この道にクロスしている通りには、太宰よりもう少し後の時代、青森が生んだもうひとりの天才作家、寺山修司が暮らしていた家もあった。そこから前述の青森高校に通っていたわけだ。もしかしたらあの藤巻さんも、同級生だった寺山修司や沢田教一たちとともにこの道を歩いたかもしれない。そんなことを考えるとワクワクする。

「これらのふたつの通りは青森市内の『太宰通り』『寺山通り』と言えるんじゃないかな」と相馬さんは言うのだった。

さて再び太宰の話に戻ろう。太宰は旧制中学時代、勉強のみならず体育も得意だったと伝わっている。下宿の近くの寺の空き地で陸上の練習をしていた、という記録がある。
「おそらく、このあたりでしょうね」と相馬さんは先ほどの通りの先に今でもあるそのお寺まで連れて行ってくれた。

太宰治が運動をしていたと推測される通り
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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
テーマは「名人」「伝説」「祭り」「挑戦者」「穴場」の5つ。
様々なジャンルの名人に密着したり、土地にまつわる伝説を追ったり、知られざる祭りに参加して、その様子をお伝えします。
気になるレポートがございましたら、皆さまの目で、耳で、肌で感じに出かけてみてください。
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