前夜に台風が過ぎたものの、まだ小雨がちらつく寒い朝。青森市内の中心部、大通りから一本外れた通りに建つ小さな建物『青森まちかど歴史の庵 奏海』を訪ねた。たくさんの写真や、フィルムがぎっしり入った箱……そんなものたちに囲まれて、相馬信吉さんがいた。「いらっしゃい」と笑顔で声をかけてくれた相馬さん、イントネーションは完璧な津軽弁である。
相馬さんは、弘前の農家に生まれた。1971年(昭和46年)、早稲田大学の「在野精神」に憧れて第一文学部に入学。国文学を学びたくて入学したのだが、「当時は学園紛争の余波で、授業なんかほとんどなかったです」と相馬さん。
しかし大学2年生の時に考古学の教授から「相馬くん。青森出身だよな、青森県の蓬田村で、古代遺跡の発掘をやるから、一緒に行かないか」と声をかけられたことで、進路が予想もしなかった方向へ。故郷での遺跡発掘を経て考古学を専攻することになり、卒業後は青森県庁に入庁。県の教育委員会のなかで、遺跡を調査する考古学専門の職員として勤務することになった。こうして、相馬さんはくる日も来る日も青森県内の考古遺跡を発掘する人生に突入していったのだった。