さて青森県といえば、昨年に世界遺産になったばかりの縄文遺跡が集中する日本の考古学のメッカのひとつである。定年後でも考古学に携われることは、たくさんあるように思われた。それなのに元・考古学の調査員が、定年後のいま、なぜ考古学ではなく、近代の写真の研究に没頭しているのか? ちょっと不思議な気がした。それにはこんな答えが返ってきた。
定年まであと10年を切った頃。相馬さんは部署替えで青森県教育委員会事務局から青森県立郷土館(現在は耐震工事のため長期休館中)の考古学専門学芸員として勤務することになった。発掘調査の調査員の時と少し違うのは、調査研究するだけでなく、展覧会の企画をするということであった。そしてこれまで考古学だけに明け暮れていた毎日と違って、考古以外を専門とするの学芸員たちと話すことにも大いに刺激を受けたという。
ある時、青森県立郷土館で昭和30年代の特別展を行うことになった。そこで美術部門に寄贈された、市内のさまざまな店で作られたマッチ箱を展示に活かしてみようということになった。今では少なくなったが、昭和の時代、マッチ箱は店の宣伝を担うノベルティとして多くの店で作られたのだった。
このマッチ箱を見ただけでは、いつ作られたものなのか、その年代を測定することはできない。でも箱に描かれた情報を見て、場所や名前を調べれば、いつまで店があったのか、今でも同じ場所にあるのかなど、さまざまな情報や現在が見えてくる。
「これは考古学の手法とおなじだ! とピーンときました」と相馬さんは笑顔で話す。それをもとに調査し、マッチ箱をつくった店の由来をひもとく美術部門の展示として行った。
それが好評を博し、続けさまに昭和40年代展も行った。博物館には市民からさまざな古い写真が寄贈される。相馬さんは古い写真に写る建物などから情報を割り出し、現在のようすも調べて住宅地図と並べたら面白い展示になると思い付いた。考古学の手法で、近現代の民俗学も美術もやれる。そう思った瞬間だった。
相馬さんはこうも言う。「日本では考古学の調査員の数は充実している。一方で近現代の民俗学、歴史学の学芸員は博物館のなかでも極端に少ない。それなら誰もやってないことをやってやろうと思って。へそ曲がりだから」
そうして相馬さんは60歳で青森県庁を退職したのを機に、専門の考古学よりも俄然面白くなってしまった近現代の青森の歴史調査をひとりでやることになったのだという。「地下の発掘をやめて、地上の発掘をしているんですよ」と相馬さんは笑っていった。