未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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移住夫婦が、真鶴で「人が主役」の本屋をひらくまで この町には、本屋が必要だ。

文= ウィルソン麻菜
写真= ウィルソン麻菜
未知の細道 No.213|11 July 2022
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#3本棚の出会いに背中を押されて

「事業を考えようにも、なかなか人に会えないので町のこともわからない。家族で散歩くらいしかできなくて、知り合いもいないし、仕事も決まらないし、孤独なつらい時間でしたね」

移住した翌月、新型コロナウィルスが流行り出した。人とのつながりを求め、町で必要とされる仕事を作り出そうとしていた家族にとって、出口の見えないトンネルのような期間だったと振り返る。それでも、何かの折に出会い、少しずつ話すようになった町の人たちから聞いたのは、「この町には本屋がない」ということだった。

「何度もいろんな人から、繰り返し聞くんです。『本屋があるといいよねえ』って。数年前まであった本屋が廃業してからは、本が欲しいときはインターネットか、小田原まで出ていかないといけない。私たちも本が好きだし、本屋のある町で子育てしたい。じゃあ本屋をやってみるのはどうかな、みたいな話になりました」

町の人と話すたびに、本屋というアイディアが頭のなかに積もっていく。けれど、本屋の知識もなく、大きな資金もない彼らが、いきなり本屋をオープンするのはハードルが高かった。まずは、自分たちができる範囲で始められないか――。考えを巡らせているときにふと目に止まったのが、家の本棚にあった平山晋さんの『小さな人気店をつくる! 移動販売のはじめ方』だった。平山さんは自身でたこ焼き専門の移動販売をしながら、キッチンカー事業の普及活動をしている移動販売の専門家。この本には開業の手続きから車の選び方まで、主に飲食ではあるが移動販売のノウハウが書かれていた。

「その本を見たときに、『あ、移動で本屋ができないかな』って」

ふたりの背中を押したのも、本だった。

移動販売であれば小さく始められる。「本 仕入れ方」と検索するところから始め、いくつか本を仕入れて販売してみることにした。よくある移動本屋のブックトラックを作るお金はないので、とりあえず家にある軽自動車に本を積んで。本屋の名前は「道草書店」。買い物などの用事のついでにふらっと道草で寄ってもらいたいという意味を込めての命名だった。

移住してから8ヶ月後の2020年9月。真鶴にあるパン屋「秋日和」の横の小さな駐車場スペースに本を並べたのが初出店だ。たまたまパンを買いに行った時に移動本屋の話をしたところ、「よかったらうちの隣を使ってください」と提案してくれたという。

不安と緊張のなか想像よりもたくさんの人たちが訪れ、その日を皮切りに、竹夫さんと道子さんは各地のマルシェやイベントで本の販売を続けていった。

「いろいろなところに出向いて、先々で人と出会えるのがめちゃくちゃ楽しかったですね。だから、店舗をオープンしてからも移動販売は続けようと思ってます」

本来、移動販売の本屋というのは、実店舗ありきでの事業なのだという。いくらお客さんが来てくれても、1日の売上は数万円程度。移動本屋だけの時期は、貯金を切り崩しながら出店する日々だった。

「本屋や出版の知識があったら始めてないでしょうね。そのくらい、収支的には無謀なことをしていました」

それでも、移動本屋は1年半続いた。やればやるほどに膨らんできたのは「この町には本屋が必要だ」という、小さな使命感だったという。

「出店していると、ただお喋りに来る人もけっこう多くて。地域のお年寄りや子連れの方とかも。もちろん本を買ってくれる方もいるんですけど、ふらっと来て喋って帰るという、“小さな人だまり”を体現する憩いの場になっているのがすごく嬉しかったんです。お店にやってきた近所の人同士で井戸端会議が始まって、本を買わなくても幸せそうに帰っていく。そういう光景を目の前で見ると、やっぱりこういう場所が必要だなって思っていました。何もないと集まれないから」

同じ地域に住んでいても、最低限の会話しかなかった都会とは対局にあるような雰囲気。本屋という理由があるから人が集まり、会話が生まれる。わざわざ「会おう」と言いづらかったコロナ禍ではなおさら、道草書店の存在は大きかったのかもしれない。これからもそんな光景が見たいという想いで、ふたりは道草書店のテーマを「人が主役の本屋」にした。

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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