4時30分に起床と言われてもケータイがなければアラームもない。それでも周りの気配で目が覚めた。「行きますか」誰ともなくそう言って道場の隣にある集合場所へ。5分前には女子も揃い、5時ぴったりに主が奥から現れる。杯数にして18。正の字を書き連ねた「水分摂取表」を提出すると、その場で判子を押して返してくれる。
「以上!」というわけで、スケジュール通り部屋に戻って掃除する。掃除といっても境内を雑巾掛けするわけではなく、道場内の自分の布団まわりを整えるだけでよかった。そして「護摩」という儀式に参列するため大本堂へ。道場から長い長い階段を上っていく必要があるのだが、昨日とは打って変わって身体が重い。重力が何倍にもなったみたいだ。頭も重くて会話のテンポすら遅れてしまう。
大本堂に入っていくと、天井の高さに驚かされる。黄金のシャンデリアのような天蓋(てんがい)がいくつもぶら下がっていて、床には赤い絨毯が敷き詰められていた。最深部には壇があり仏像とともに豪奢な装飾が並んでいる。その手前にはステージのような場所もあった。
やがて奥から一人のお坊さんがやってきて、ステージの準備を整えると、前座のようなトークをはじまった。話が終わりに近づくとタイミングを見計らったように、「おわーんーなーりー」という声が堂内に鳴り響く。すると、ぞろぞろと30人以上のお坊さんが列をなして入ってきた。それぞれがステージを取り囲むように着席すると、満を持して、いかにも偉そうなお坊さんがステージに上がっていく。後ろには若いお坊さんを従えていて、着席したときの法衣の乱れも滞りなく整えられていた。そして、偉そうなお坊さんが大規模な火を焚きはじめると、同時にお坊さん全員によるお経がはじまり、火が燃え盛るにつれてその声も大きく盛り上がっていく――まさに儀式。まるでオーケストラ。
新勝寺の宗派は「真言密教」だが、それを象徴するのが、この「護摩」である。ステージというのは「護摩壇」であり、その中に「護摩札」を入れて火をつける。炎で煩悩を焼き尽くして願い事を清めるためだという。この荘厳な儀式は、朝・昼・晩と1日3回行われていて、断食者でなくても誰でも参加できる。「密教」という言葉の印象とは対照的に、実に開かれたお寺なのだ。
そもそも、新勝寺が建てられた事の発端は、平安時代の平将門の乱。大本堂の奥には空海が彫ったと言われる「不動明王像」があるのだが、とある僧がこの像を成田山まで運んできて、戦乱が鎮まるよう護摩をして祈願した。やがて戦乱がおさまると像を中心に新勝寺が建てられたのだ。今から1000年以上前の話である。
そして時は流れて江戸時代。成田山に歌舞伎役者の初代市川團十郎がやってくる。子宝に恵まれなかった團十郎が新勝寺で祈願すると、たちまち二代目を授かった。そのご利益に驚いた團十郎は、何度となく成田山を題材とする歌舞伎を上演。屋号も「成田屋」と定めて現在に至っている。市川海老蔵夫妻が成田山で結婚報告をした理由もここにあるという。
……と、なんとも縁起のいい場所なのだが、目を開けているのも辛くなってきた。「視界に入る情報量を処理できません」と脳が拒んでいるのか、気持ち悪くて吐きそうだ。耐えきれずに目を閉じると強制スリープ。意識が遠のいていく。しかし、そのときお経は最高潮。大合唱とともに大太鼓まで鳴らしはじめると、叩き起こされた頭にガンガン音が鳴り響く。さらなる吐き気のビッグウェーブが押し寄せてくる。
後になって調べたことだが、断食中の身体はこれまでの生活で積もりに積もった毒素や老廃物を血液に押し流そうとするそうだ。それにより、汚れた血液が全身にまわり、吐き気や頭痛の症状が出る。これはデトックスが成功しているサインでもあるのだという。
悶え苦しむこと30分。護摩が終わるとゲッソリしながら大本堂の外に出る。まだ6時を回ったばかりなのに太陽もすっかり昇っていて、まぶしくてまた吐きそうだ。とにかく一刻も早く布団に帰ってリセットしたい。全身筋肉痛のようにダルい身体を引きずって道場に戻ると倒れるように眠りについた。
途中、人の気配で目が覚めた。本日の新メンバーが入堂したのだ。挨拶もしてくれたのだが、こっちは息も絶え絶え。昨日の僕が先輩断食者に感じた印象と同じような雰囲気を醸し出していたに違いない。ちなみに、その先輩断食者は僕が寝ているあいだに卒堂していったらしい。うらやましい限りである。
12時を過ぎる頃には、吐き気も落ち着いてきたので「写経」に参加してみることにした。こうした修行も断食者は無料で受けられる。しかし、いざ写経をはじめてみると、ペンを持つ手に力が入らない。1時間ほど写経していると、吐き気をぶりかえしそうになり、ふらふらと庭園まで出て行くと、またしても倒れるように寝転んだ。体育座りをするのにもパツンと腕がほどけてしまうくらい身体に力が入らないのだ。
ハッ! と目が覚めたときには15時前。「説法」がはじまる時間が迫っていた。集合場所へ行くと、本日の説法はなしと聞かされた。ちなみに昨日もなしだった。結局、朝の護摩から一日中寝てばかりだが、まだまだ眠れる。とにかく全身がスリープモードに入りたがっていて、そのままシャットダウンしてしまいそうな勢いで僕は寝た。寝続けた。
ライター 志賀章人(しがあきひと)