未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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過疎の町に集うレコードファン! 古民家レコード屋がつくる新たなつながり

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.270 |10 Dec 2024
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#3転職を続けたレコード世代

「中学生の頃はアイドルブーム全盛期でした」という岡崎さんは、その頃からレコード収集を始めていた。
「明菜派」「キョンキョン派」などと、教室のなかではそれぞれ好きなアイドルがいて、休み時間は友達とそんな話ばかりしていたという。岡崎さんが大好きだったのは、80年代の大人気アイドルで、シティポップの歌い手であった「菊池桃子」。この頃はファンクラブにも入っていたほどの熱の入れようだった。

そして邦楽だけではなく、洋楽も聞いていた。「当時は『ベストヒットUSA』というテレビ番組が人気で、アメリカの音楽チャートにランクインした音楽をオールジャンルで聞いていた」という。当時はCDが流行する直前で、現在55歳の岡崎さんは、ぎりぎり最後のレコード世代でもあった。

高校を卒業と同時に、上京。「就職というより、フリーターです。でも当時はバブルの終わりで、かなり稼げた。若い頃は本当にちゃらんぽらんだったなあ……」という岡崎さん。出版社の倉庫で商品管理する仕事を手始めに、レンタルビデオ店、カラオケ・ボックスなど、さまざまな仕事をした。そして当時東京で流行っていた、ヒップホップやレゲエ音楽など、いわゆる「ブラックカルチャー」に染まっていった。

しかし父の実家の家業を手伝うために、20代半ばでいったん大子町に帰郷。大子の産業のひとつでもあった日本茶の製造と小売業を手伝った。
しかし時代の流れもあり家業は廃業。そこからまた、町営斎場などさまざまな職に就いているうちに、30代になっていた。32歳の時、結婚を機にまた大子町を出て、つくば市に移り住み、新聞販売店で店長を10年勤めた。その間も趣味のレコードは集め続けていた。

しかし40代になり離婚。そこからはつなぎでトラック運転手をしたこともあったし、住宅地図を作る仕事についていたこともあった。そのうち50代になっていた。その間もレコードは持ち続け、いつしか5000枚ほどになっていたという。

その頃から、岡崎さんは音楽関係のバイトをするようになった。それはCDを「amazon」に出品するというもの。その仕事を通して、CDだけでなくレコードの相場もわかるようになったという。販売のコツを覚えた岡崎さんは、並行して「メルカリ」などのネット上のマーケットプレイスで、手持ちのCDやレコードを取引するようになり、いつの間にか2000枚を売っていた。

「あれはすごかったな」と当時を振り返る岡崎さんだが、この経験が中古レコード販売するきっかけになったのだった。ちなみにその時のアカウント名『MELLOW』は、店名として今も続いている。だから「最初はお店じゃなくて、ネット通販に特化するつもりだったんですよ」と岡崎さんは言った。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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