日本盆踊り協会によると、盆踊りは1000年ほど前を起源とする日本の伝統的な夏の踊りだ。祖先を弔うことや豊作祈願を主な目的として、地域ごとに文化や特色を織り交ぜて継承されてきた。戦後は日本各地で特に盛り上がり、御牧原でも1949年に「御牧原音頭」がつくられたという。ところが近代化とともに若者が流出。いつしか盆踊りも開催されなくなり、「御牧原音頭」を耳にすることもなくなってしまった。
日本の夏を象徴する盆踊りと「インターナショナル」。一見すると結びつかないように思えるふたつの言葉が組み合わさった不思議な盆フェスは、いったいどのようにして生まれたのだろう。
読書の森を営む依田雄さん、恵さん夫妻に話を聞いたところ、その始まりには盆フェス会場でひときわ存在感をはなつ「どうらくオルガン」が関係しているようだ。
もともと小諸市内で生まれ育った雄さんと恵さん。読書好きだった雄さんは大学時代を過ごした京都で、読書をより豊かな体験にしてくれる喫茶店の魅力に出会った。
一方の恵さんは、地元で染織作家として活動していた。大学卒業後、隣町の障害者施設で働いていた雄さんが恵さんの展覧会を訪れたのがきっかけで、ふたりは結婚。その景色と豊かな自然環境に惚れ込んでいた御牧原に、喫茶店「読書の森」をオープンしたのが1993年のことだ。
京都で出会った喫茶店のように、読書を楽しめる場所にしたいという思いを店名に込めた。「森」を入れたのは、喫茶店周辺の森を整備して守っていきたいという意欲があったから。実際雄さんは、オープンから20年ほどかけて周辺の藪を少しずつ整備し、国蝶であるオオムラサキをはじめとして、貴重な生物たちの保護に取り組んできた。
「読書の森」がオープンした1990年代はじめは、喫茶+ギャラリーが流行していた時期。「他の喫茶店とお客さんの引っ張り合いになるのは嫌だなと思った」という恵さんは、ファンだった絵本作家、田島征三さんの講演会を企画。ラブレターのようなオファーの手紙を書いたところ、田島さんの講演会が実現した。たくさんの人が集まったが、恵さんは「ただ人がたくさん集まって終わりっていうのは違うと思った」。
訪れる人と点ではなく線のように関わりたいという思いを強くした恵さんは、ゲストが宿泊できるように小屋を整備。庭でとれた野菜をふんだんに使った料理をふるまい、お酒を飲みながらゲストとゆっくり語る関わり方を楽しむようになった。
交流が続いていた絵本作家の田島さんから思いがけない相談を受けたのは、2012年の9月。
田島さんと音楽家の松本雅隆さんが2012年の越後妻有トリエンナーレ「大地の芸術祭」に共同で出展した作品「どうらくオルガン」の移築先を探しているというのだ。
「どうらくオルガン」は、いくつもの竹がまるで生き物のように飛び出た不思議な建物。なかにあるオルガンをみんなで演奏すると建物自体が大きな楽器のようになるというなんとも愉快なアート作品だが、移築先が見つからなければバラして処分してしまうという。
田島さんとのご縁で、松本雅隆さんともつながりができていた読書の森。「それならばうちにどうぞ」と伝えると、あっさりと移築が決まった。
とはいえ、新潟県十日町から御牧原の読書の森まではおよそ140キロ。縦横3.6メートル、高さ4メートルほどもあるどうらくオルガンをいったい誰がどうやって移築するのか。
そこでが思いついたのが、当時まだ日本ではあまり広まっていなかった「WWOOFer(ウーファー)」の活用だ。「ウーフ(WWOOF)」とは、自給的な暮らしをするホストが食事と宿泊場所を提供し、そのかわりにゲストがなんらかのお手伝いをするためのオンラインプラットフォーム。ウーフを利用するゲストを「ウーファー(WWOOFer)」と呼ぶ。
依田夫妻がウーフジャパンのサイトでどうらくオルガン移築のお手伝いを呼びかけたところ、海外からもウーファーが訪れた。喫茶店の常連客も含め、10名ほどの手によって、2013年の5月に無事にどうらくオルガンの移築が完了。
1年後の2014年、夏。どうらくオルガンの移築を手伝ったイタリア人とフランス人のウーファーが、お盆をまたぐ日程で読書の森に滞在していた。気の合うゲストだったこともあり「せっかくだから日本の盆踊りを体験させてあげたい」と考えた雄さんは、ふたりを連れて街にくりだし、愕然とする。
御牧原ではすでに盆踊りがなくなっていたことは知っていた。ところが、期待していた小諸駅前も含め、小諸市街地のどこにいっても、盆踊りをやっていなかったのだ。かろうじてやっていたところでも、古ぼけたレコードで曲を流して役員が形式的に集まっているだけ……。
ショックだった。
盆踊りが失われていくことが、雄さんには、この場所に住む人の土地に対する自尊心が削がれていく姿に見えた。
「誰もやらないなら自分たちで盆踊りをやろう」
すぐにそう決めて動きだした。