そもそも永田さんを取材したいと思ったのは、単に日本一に輝いたからじゃない。調べたところ、日本には寿司のチェーン店が4000店舗以上(!)あり、多店舗展開しているところも多い。当然、在籍する寿司職人だって膨大な数にのぼるだろう。もちろん大会に参加する職人の数は限られるけど、それにしてもなぜ、秋田に2店舗しかない地域密着型の太助寿司から優勝者が生まれたのか? その謎が知りたかったのだ。
もしかしたら、どでかい野望を持つ男なのかもしれない……ギラギラとテッペンを狙うタイプかも……と想像しながら、平日午後、お客さんがはけた時間に再訪した。
挨拶を交わし、話を聞き始めてすぐに、僕の想像が妄想だとわかった。現在29歳の永田さんは、1ミリもギラギラ感のない、日本一になったからといって偉ぶることもない、落ち着いた雰囲気の人だった。秋田市役所で働いています、と言われたら、納得してしまいそうだ。
そもそも永田さんは、寿司に強い思い入れがあったわけでもない。秋田市出身の永田さんは、男鹿半島にある水産系の高校に通っていた。就職活動の際、高校の教師から「ここどう? 家から近いよ」と勧められたのが太助寿司を運営する秋田市内の企業で、寿司職人の見習いを求めていた。
一般企業に勤めて会社員になるという道もあるなか、いきなり寿司職人を目指すというのも人生の一大転機に思えるが、永田さんは、「自宅から通えるのはいいな」という理由で採用試験を受け、就職を決める。
「なんとなく生きてきたんで(笑)」。