震災直後からアミタとは密にやり取りをしていて、3月30日に予定されていたミーティングで、撤退のスケジュールがある程度確定するはずだった。その前日、山川さんは社長に就く予定だった先輩と焼き肉屋に行った。そこで「どうしてもやりたいんですよ」と打ち明けた。先輩は会社を離れることを決めていたが、焼き肉を食べた後、ふたりで新しい事業計画書を用意した。
翌日のオンラインミーティングで、山川さんはアミタの社長を含む幹部陣に、「牧場を続けたい」と話した。社長から「ほんまにやるんか?」と聞かれ、「やります」と即答した。
「お前、お金はどうするんや?」
「僕ひとりだけなんで、なんとかなります」
その一言で、社長は山川さんの覚悟を認めたのかもしれない。その場で牧場の譲渡を許可したうえ、アミタとして4月いっぱい事業をサポートするという決定がなされた。
新会社の登記を変え、社員ゼロの会社の社長になった山川さんは、そこからまた全力で走り始めた。放牧ができなくても、牛を預かってもらえれば、その生乳で加工品を作ることができる。まず、地元の酪農家に頼み込み、約20頭の牛を預かってもらう手配をした。
同時進行で、廃業の連絡をしていたすべての取引先に電話をかけ、自分が社長になって牧場を引き継ぎ、事業を続けると伝えた。その数日後、もともと那須の牧場から牛乳を卸すことになっていた良品計画から電話があった。
「6月に青山で新店舗をオープンします。そこでソフトクリームをやりませんか?」
山川さんは改めて、「放牧した牛のミルク」というストーリーでソフトクリームを売りだすことはできないと伝えた。良品計画の担当者は、「それでも応援しているし、おいしいので」と言ってくれた。6月、ソフトクリームの販売が始まると売り上げが思いのほか好調で、同年秋には3店舗、翌年には8店舗……と広がっていった。
森林ノ牧場と同じ那須にある、那須どうぶつ王国も山川さんを応援してくれた企業のひとつ。やはり6月からソフトクリームの導入を決めて、森林ノ牧場の売り上げを支えた。