未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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岩手から全国にはばたく毛織物 大正から続く伝統の「ホームスパン」

文= 白石果林
写真= 白石果林
未知の細道 No.255 |25 April 2024
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#8テレビ局からホームスパン製作に転職したワケ

大学4年間を修了したあとも、研究生として1年間大学に残り、ものづくりに打ち込んだ。だが就職は、「たまたま地元で募集を見つけた」テレビの技術会社に決める。スタジオカメラマンをやったり、番組の放送準備をしたり、「どの業務も表からは見えないけれど楽しかったですよ」と振り返る。

休日は、フェルトのタペストリー(壁にかける織物)を作ったりと趣味に打ち込んだ。充実した日々だった。

しかし技術会社に入社して10年が経ったころ、「このままこの仕事を続けていくんだろうか」と自問自答するようになった。渡辺さんが出した答えはこうだ。

「やっぱりホームスパンが忘れられない」

2008年、3社応募して縁があったみちのくあかね会に入社。35歳の時だった。

ホームスパンの製作経験があるとはいえ、仕事で製品を作るのは簡単ではなかったという。

「練習期間がないんです。まずは簡単なコースターからですが、いきなり製品を作る。小さいものから織って、上達したらどんどん大きなものを織らせてもらえます。そしてお給料は、出来高制。最初は上手くできないから、失敗した分をお給料から引かれていました(笑)。入社してから5年間は、ずっとアルバイトしていましたよ。お団子屋さんにアロマサロンに......いろいろやりました。お金はないけれど、それでも楽しいから辞めたいと思ったことはないです」

当時35歳の渡辺さんは最年少。40代〜80代の人たちが糸を紡ぎ、機織りをする姿を見て思った。「人生は長いなぁ」。何歳になっても好きな仕事をしている人たちに囲まれ、自分のこれからの人生に希望をもてたそうだ。

それから5年。作り手として活躍していたある日、事務所に人が足りないとオファーを受けた。

事務所では販売や納品はもちろん、製品企画、デザイン、資材対応、広報、経理、採用など、幅広く対応しなければならなかった。人数はたった4人。

「事務所に移って3年くらいは、わけがわからなかったです」と渡辺さんは笑う。

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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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