醸造所に設置する樽などの設備は、よくわからないままに業者が勧めるものを購入した。
「今思うと、自分で海外製のものを選べば、費用を5分の1くらいに抑えられたと思う」と話す塚越さんは、損してるにも関わらずどこか楽しそうだ。
「こうして事業を始めて、自分がいかに無知だったか痛感してるんです。税務署がどこにあるのかすらわからず、県税事務所の窓口に行って『ここじゃないです』って言われたくらいですから。社会科の教員だったのに恥ずかしいけど、新しいことを知れるのが楽しいよ」
始めたことを後悔したことはないですか? と尋ねると、「うまいビールが造れなかった時に、もうやめたいと思ったことはあるかな」と返ってきた。
ビール造りを始めた頃は、失敗も多かったそうだ。発酵しすぎてしまったり、乳酸菌が入ってビールが酸っぱくなってしまったり。
「1カ月以上かけて造ったビールを捨てる時って、すごく悲しいんだよ」
醸造所でひとり、ビールを捨てる塚越さんの姿を想像すると、かける言葉が見当たらなかった。
しかし、失敗から時間管理、温度管理、衛生管理を学び、次第にミスは減っていったそうだ。失敗したビールの一部はあえて捨てずに瓶詰めして、保管している。
「いまだに納得いくビールが造れないこともある。だけど、つまずいた時にこのビールを見れば、力が湧いてくる気がするんだよね」
意外にも、不安に感じていた6000リットルの壁は、わずか7カ月でクリアした。ビール造りの合間に、メールマガジンを数十人に送ったり、SNSをコツコツと更新したりしていたことが功を奏した。一気に火がついたのは、テレビ番組『笑ってコラえて』(日本テレビ)で結城市が紹介されてからだ。有名タレントが結城麦酒醸造でビールを飲む姿が放映された翌日から、注文が殺到した。
冷蔵室を埋め尽くしていたビールの山はあっという間になくなり、コロナ禍にも関わらず経営は黒字化。順調な滑り出しだった。
しかし現在、新たな問題に直面している。後継者がいないことだ。現在、結城麦酒の社員は取締役の妻・美和子さんと、教員時代の先輩のみ。「100年続く会社にしたい」という目標を掲げたはいいものの、後継者がいなければ始まらない。
融資元の銀行からはこう言われた。
「利益を上げれば必ず後継者が育ちます。儲からない会社には誰も就職しませんよ」