再雇用の話もあったが「教員には戻らない」と断り、紹介された茨城県近代美術館で働き始める。
美術館は、ロビーから千波湖の美しい水面が見える場所だった。夏は涼しく、冬は暖かい。給料も良く、世間一般で言う「高待遇」だった。
「ここで5年間働けることになりました。週4日勤務だから、毎月仲間とゴルフに行く余裕もある。でも、ふと思ったんです。5年後、私は65歳。その時になにか始めたいと思っても、体が思うようには動かないかもしれないって」
その時、塚越さんは「この世に、自分が存在した証を残したい」と考えたという。
「なにかで一番になれば、自分が生きた証が残る。日本で2番目に高い山は?って聞かれてもなかなか答えられないけど、日本で一番高い山は誰でも知っているでしょ」
一番になるには、誰もやっていないことを始めればいい。塚越さんは、「結城にないものはなんだろう」と考えた。
友人たちに相談すると、「結城市には金がない!」「ビルがない!」などと盛り上がった。そのうちのひとりが「結城市にはビールがない」と言った時、ピンときた。
「ビール造りをしている友人から、『ビール造りは意外と簡単なんだ』と話を聞いたことがありました。それに結城ならではのビールができれば、生まれ育った結城のまちおこしにもつながる。そう思って後輩とふたりでビール造り体験に参加したんです」