それから18年、最上川千本だんごは一度も客足が途切れることなく、繁盛している。リピーターに飽きられないように新商品の開発にも熱心で、店頭に並ぶだんごの種類は年間35種類に及ぶ。和菓子屋さんが季節に合わせたお菓子を作るのを参考にして、夏場はレモンのだんご、秋はサツマイモや栗のだんごなどを出してきた。
冬場の閑散期になると夫婦で上京して、話題のだんご屋を食べ歩く。これはいい! と思ったアイデアは積極的に取り入れ、最上川千本だんごならではの風味を出すように工夫する。
このような地道な取り組みが支持されているのだろう。これまでの最高記録を聞いて、僕は仰天した。なんと、1日8000本! 磯部晶策氏から「最上川千本だんご」と命名された時には、「プレッシャーになる」と感じたそうだけど、8倍の売り上げだ。最近でも、テレビで放映された翌日にはとんでもない行列ができて、5000本から6000本売れたという。僕が取材に訪れた日のような落ち着いた平日の昼間でも、平均2000本。「多い年には年間約24万人のお客さんがきました」とさらっと言うけど、ちょっとした商業施設ぐらいの集客力だ。
タピオカのように急に流行ってスッと消えていくものが多い現代、2005年に今の場所に店を開いてから18年間、だんごが売れ続ける理由はなんだと思いますか? と尋ねると、五十嵐さんは三日月のように目を細めた。
「ほかの勉強会で微差は大差だと教えてもらって、どこにでもある団子、どこにでもあるお豆腐と違ったものを作れると学べたこと、それをお客様に説明することの積み重ねですね。対面販売の大切さも実感しました。自分で作ったものは自分で売る。そうすれば、自分で値段もつけられるし、お客様と直接コミュニケーションを取れる。甘いとか、しょっぱいとか、聞けるじゃないですか。それは大きかったですね」
この言葉を聞いて、自ら店頭に立って注文を聞いていた五十嵐さんの姿を思い出した。「スタッフがケガしちゃったりして、手が足りなかったんで」と言っていたけど、途切れないお客さんの注文をさばき続けるのは大変な仕事だ。あえてレジ係を引き受けるところに、五十嵐さんの実直な人柄がうかがえる。これからお店をどうしたいですか? という問いへの答えにも、それが表われていた。
「こんな田舎町にお客さんが来てくれるのはすごくありがたいので、町にも恩返ししないとけない。そのためにも若い人が安心して働ける環境を整えていきたいですね。2年前に高卒で入った女の子が車を買ったとか、推しのコンサートに行ったとか、ディズニーランドに行ったとか聞くとすごく嬉しいんです。男性スタッフもふたり結婚して、家を建てたんですよ。彼らの夢を叶えられました」
五十嵐さんと二人三脚でお店を盛り立ててきた妻の恵美子さんは、「豆腐屋に嫁に来たつもりだったので、気持ちは豆腐屋なんですよ」と笑う。お店では豆腐の販売もしていて、好意に甘えて食べさせてもらったら、大豆の味がくっきりはっきり濃厚で、思わず目がくわっと開いた。
「自分でも、これはおいしい! と思います(笑)。ひとりで十丁、二十丁買っていく人もいるんですよ。豆腐もみなさんに食べてほしいですね」と語る恵美子さんを見て、僕は思った。朗らかな雰囲気のこの夫婦はきっと豆腐にも変わらぬ愛情を注ぎ、日々進化させているのだろう。
2020年には、県外で働いていた息子さんが帰郷して、一緒に働き始めたそう。五十嵐夫妻に息子さんも加わった最上川千本だんごは、いずれ、1日に1万本を売るお店になるかもしれない。そうしたら、最上川万本だんごだな、と思いながら、帰りの道中、お持ち帰り用に包んでもらった3本のだんごを頬張った。