未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
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鳥瞰図絵師が愛した風景 八戸に生きる人々と吉田初三郎

文= 松本美枝子
写真= 松本美枝子
未知の細道 No.219 |11 October 2022
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#2日本一の景勝地

種差海岸駅から海に向かって歩くと種差観光協会も兼ねる柳沢商店が見えてくる。

9月とは思えないほどの暑い朝。まずは種差観光協会を訪ねてみることにした。種差海岸駅から海に向かってまっすぐ進むと、「種差観光協会」という札を立てかけたお店が見える。種差観光協会の会長で、この柳沢商店店主の柳沢卓美さんは、ここ種差海岸で生まれ育ち、八戸時代の初三郎の歴史や作品をよく知る人物だ。八戸の初三郎のことを柳沢さんに教えてもらうために、この店に来たのだった。

種差観光協会会長の柳沢卓美さん。

一世を風靡した初三郎だが、1955年(昭和30年)に没した後、時代の流れのなかで、その鳥瞰図は忘れ去られていった。しかし今から20年ほど前から、地図の専門家を中心に、再び少しずつ作品にスポットが当てられるようになった、と柳沢さんは語る。当時はまだあまり資料がなかったものの、その頃から柳沢さん自身も、手探りで情報を探すようになったという。
「情報を集めるために、これまで全国各地の展示会に行きましたよ」という柳沢さん。やがて各地につながりができるようになった。そして初三郎の作品に再ブームが訪れ、各地の博物館などで採りあげられるようになった。時を同じくして、新たな初三郎の作品が発見されることも増えてきた。2007年に三戸図書館で作品が発見された時には、柳沢さんに依頼があり、確認に出向いたという。

この日も観光客が、初三郎のことを訪ねて柳沢商店に来ていた。

「初三郎がスケッチしたあたりを歩いてみましょう」と柳沢さん。
まずは柳沢商店の目の前にある、初三郎も写っている集合写真の場所に行ってみる。岩の位置も海岸線も今とほとんど変わらない。

昭和初期に撮られた集合写真。2列目中央で立っているのが吉田初三郎。

当時の初三郎は大人気の鳥瞰図絵師で、その鳥瞰図は大正時代の観光ブームの火付け役を果たした。鉄道産業は大正時代にさらに発達し、ブルジョワのみならず、たくさんの一般の人が遠くへ移動ができるようになり、初三郎の鳥瞰図に描かれた路線に沿って、図の風景を見る旅に出たのであった。
初三郎は単なる絵師ではなく、今で言うところのデザイナーでもあり、観光産業と地図出版にかかわるプロデューサーのような役割も果たしていたという。鳥瞰図を折りたたむ「折図」のアイディアも初三郎のものだ。
また初三郎は国立公園に内定していた同じ青森県の十和田湖に、種差海岸も含めてもらおうとする運動に、積極的に関わった。十和田湖は1936年(昭和11年)に国立公園になり、種差海岸は国立公園には含まれなかったが、その翌年に国の名勝地に指定された。

そのような初三郎のもとには八戸の著名人のみならず、「政治家や皇族なども八戸に訪れたんですよ」と柳沢さんは教えてくれた。写真には、着物姿の八戸の人たちとともに、当時珍しい洋装の都会人たちがいっしょになって、海岸にずらりと並んでいる。初三郎は、いまでいう「セレブ」のような存在だったのだろう。

撮影場所に佇む柳沢さん
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未知の細道とは

「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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