9月とは思えないほどの暑い朝。まずは種差観光協会を訪ねてみることにした。種差海岸駅から海に向かってまっすぐ進むと、「種差観光協会」という札を立てかけたお店が見える。種差観光協会の会長で、この柳沢商店店主の柳沢卓美さんは、ここ種差海岸で生まれ育ち、八戸時代の初三郎の歴史や作品をよく知る人物だ。八戸の初三郎のことを柳沢さんに教えてもらうために、この店に来たのだった。
一世を風靡した初三郎だが、1955年(昭和30年)に没した後、時代の流れのなかで、その鳥瞰図は忘れ去られていった。しかし今から20年ほど前から、地図の専門家を中心に、再び少しずつ作品にスポットが当てられるようになった、と柳沢さんは語る。当時はまだあまり資料がなかったものの、その頃から柳沢さん自身も、手探りで情報を探すようになったという。
「情報を集めるために、これまで全国各地の展示会に行きましたよ」という柳沢さん。やがて各地につながりができるようになった。そして初三郎の作品に再ブームが訪れ、各地の博物館などで採りあげられるようになった。時を同じくして、新たな初三郎の作品が発見されることも増えてきた。2007年に三戸図書館で作品が発見された時には、柳沢さんに依頼があり、確認に出向いたという。
「初三郎がスケッチしたあたりを歩いてみましょう」と柳沢さん。
まずは柳沢商店の目の前にある、初三郎も写っている集合写真の場所に行ってみる。岩の位置も海岸線も今とほとんど変わらない。
当時の初三郎は大人気の鳥瞰図絵師で、その鳥瞰図は大正時代の観光ブームの火付け役を果たした。鉄道産業は大正時代にさらに発達し、ブルジョワのみならず、たくさんの一般の人が遠くへ移動ができるようになり、初三郎の鳥瞰図に描かれた路線に沿って、図の風景を見る旅に出たのであった。
初三郎は単なる絵師ではなく、今で言うところのデザイナーでもあり、観光産業と地図出版にかかわるプロデューサーのような役割も果たしていたという。鳥瞰図を折りたたむ「折図」のアイディアも初三郎のものだ。
また初三郎は国立公園に内定していた同じ青森県の十和田湖に、種差海岸も含めてもらおうとする運動に、積極的に関わった。十和田湖は1936年(昭和11年)に国立公園になり、種差海岸は国立公園には含まれなかったが、その翌年に国の名勝地に指定された。
そのような初三郎のもとには八戸の著名人のみならず、「政治家や皇族なども八戸に訪れたんですよ」と柳沢さんは教えてくれた。写真には、着物姿の八戸の人たちとともに、当時珍しい洋装の都会人たちがいっしょになって、海岸にずらりと並んでいる。初三郎は、いまでいう「セレブ」のような存在だったのだろう。