柳沢さんと共に種差海岸を北に向かって、さらに歩く。初三郎は鳥瞰図を書くために、八戸でさまざまな場所をスケッチした。そして鳥瞰図だけではなく、肉筆画も多数残している。初三郎は種差海岸を、「日本一の海岸美」「日本離れした風景」として称賛した。ついには「陸奥金剛」と名づけ、その地名を自身の鳥瞰図の中でも使った。 ちなみに「金剛」とは当時の朝鮮の名勝地のことである。まるで金剛の絶景のようだとして、種差を「陸奥の金剛」としたのであった。戦後この地名は使われなくなってしまったが、戦前の初三郎の鳥瞰図を見るとこの地名が使われていたことがわかる。
柳沢さんと共に復刻された絵葉書を頼りに歩いてみると、絵の中と変わらない海の景色が今も眼前に広がっているのであった。
種差海岸インフォメーションセンターにたどり着いた。ここは2014年(平成26年)にオープンした種差海岸の新たな観光拠点だ。受付には初三郎の鳥瞰図の複製をかかげ、初三郎に関するビデオ放映や図書資料を公開している。
また「種差天然芝生地」をはじめとした地元の豊かな自然を紹介しており、当日も観光客が足を停めるスポットとして賑わっていた。