脇目も振らず、黒い丸を書きそのなかを赤く塗ることに集中する佐々木早苗さん。難しい顔つきで写真や絵画を複写する古川美記子さん、おしゃべりしたり作業したりの野田東さんや大村富江さん、安保恵子さん。メンバーの入れ替わりはあるものの、個性的な面々が集まるアトリエは、いつしか国内外から高い評価を受けるアーティストを輩出する存在になった。それは、なぜだろう。
「今のメンバーの幼少期、岩手県内には福祉施設が少なく、県内の障害者が花巻のルンビニー苑に集まる傾向はありました。かといって芸術センスのあるメンバーを探し集めたわけではありません」
板垣さんはシンプルに、彼らが気持ちよく芸術に向き合える環境づくりを心がけた。知的障害者の多くは、自分が感じていることに対して非常に忠実だ。彼らが思っていることを高い純度で追求できるように、職員はメンバーたちのどんな些細な表現もキャッチして肯定し、メンバーの安心と自尊心を深めることに努めた。さらに画材にもこだわり、一人ひとりの趣向性に合わせた道具をカスタマイズして取り揃えた。学童向けの色鉛筆やクレヨンではなく、画家やデザイナーが使用する色彩に富んだ顔料や絵の具を手にすると、彼らは目を輝かせながら日々の制作に没頭するようになり、才能はより一層引き出されていった。
たった半日という短い時間ではあったけれど、私は2階のアトリエを訪れてメンバーと和気あいあいに過ごすうち、自分の心が開放されていくことに気づいた。内心に感じていた「部外者を迎え入れてくれるのだろうか?」という不安、言い換えれば、こちらが勝手に設定した境界線を、彼らはいとも簡単に消し去ってくれたのだった。
「『元気をもらった』『ポジティブになれた』という感想を数多くいただきます。展示を見るだけでなくアトリエを訪れることで、メンバーと出会い、垣根を取り払う。彼らにとっても、来訪者と接することで自己肯定感が高まります。オープンした当初は『ギャラリーが美術館の心臓部』と考えていました。けれど2階を開放してからというもの『アトリエこそ、るんびにい美術館の核心』と気づかされました。早くコロナ禍が過去のものとなって、来訪者とアーティストたちが自由に交流する日常に戻って欲しいですね」
板垣さんは相変わらず覚さんの背中を掻きながら、マスク越しに目を細めて呟いた。