古戦場は戦後に浅野さんの祖父が「みなとや精肉店」として開店したのがそもそもの始まりなのだとか。それから中尊寺の近くにドライブイン「古戦場」を開業した。そこは平安時代末期に奥州藤原氏の拠点があり、かの有名な「衣川の戦い」で源義経が命を絶ったと伝えられる場所に近かった。
やがて全国各地でファミリーレストランが産声をあげる黎明期に「レストラン古戦場」をオープンさせると、東北新幹線開業に先駆けて店内にミニ新幹線を走らせるなど、当時の一関にはなかった、時代の先端を走りながらも庶民的な雰囲気を持った飲食店を展開して人々の心を掴んだ。一関市民にとって「古戦場」といえば、家族の楽しい外食や冠婚葬祭などの記憶がよみがえる、思い入れのある場所なのだそうだ。
焼肉店や和食店など多角的に飲食店経営を進める中で、1986年に宴会場と入浴施設からなる「健康センター古戦場」が開業する。これが現在の古戦場の原型だ。とはいえ異業種であるはずの温浴事業に参入したのか。それも宴会場をメインとしたレストランにお風呂という、ありそうでない組み合わせ。その背景について浅野さんは説明してくれた。
「地元の建設会社に相談された、というか泣きつかれたのが真相のようです。『北海道に健康センターを建設するという発注を受けて資材も準備したところ、発注元が倒産してしまった。何とかしてくれないか?』と。」
そこで古戦場の創業者である祖父は、その資材をそっくり買い取り、北海道に建設されるはずだった健康センターを一関に建てた。温浴事業に関する知識も経験もゼロだったにもかかわらず。何とも大胆で豪快で、人情味に溢れる、まさに昭和の経営者だ。