孫の嘉伸さんは、4、5歳の頃からよく遊びに来ていたと振り返る。
「その頃は賑わっていたので、連休とか混雑する時には両親や親戚も手伝いに来ていました。僕も一緒に来て、鍾乳洞に入ったり、川遊びをしたりしていましたね」
それからしばらく時が流れ、大人になった嘉伸さんは、建機メーカーの子会社で営業マンとして働いていた。30代になると、車で片道1時間半もかかる通勤や残業、ノルマに疲れ、転職を考えるようになった。その時に選択肢として浮かんだのが、当時、高齢のユキさんがひとりで切り盛りしていた大岳鍾乳洞と併設するキャンプ場だった。
「地元でキャンプ場をやっている人と知り合って、『実家でせっかくそういうところがあるならぜひ続けてください。やりようによってはちゃんと食べられるから大丈夫だよ。その方法は教えるし』と言われたんです。それから、将来やってみたいなと思うようになりました」
ただ、鍾乳洞に来る観光客は下降線をたどり往時の10分の1ほどで、キャンプ場も宣伝したことがなく、ごくわずかの知っている人が利用するだけだった。その状況で、安定した会社員を辞めて継ぐのは怖い。ずっと別の仕事で自営業をしていた両親に相談した時にも止められて、どうしようかと悩んだまま4年、5年と過ぎていった。