その間にも、ユキさんの手伝いをする形でキャンプ場を整備して町のホームページや旅行雑誌に載せてもらったり、簡単なホームページを作ったりはしていた。最後に背中を押してくれたのは、当時まだ彼女だった友美さん。「そんなに辞めたかったら、辞めちゃいなよ。なにかほかに好きなこと探したら」と言われて、ようやく退職する踏ん切りがついたという。
2016年1月いっぱいで会社を辞めた嘉伸さんは、胸のうちでは鍾乳洞とキャンプ場を継ぐ決意を固めていた。ただ、祖母のユキさんが100歳になっても元気に鍾乳洞の営業を続けていたこと、その年の3月に友美さんとの結婚式を予定したこともあり、なんとなく伝えそびれていた。そして結局、ハッキリと自分の意志を告げる前に、ユキさんとの別れを迎えてしまう。
「(2016年)3月20日に結婚式を挙げました。祖母は少し体調を崩していて式には参加できなかったので、翌日に写真を持って行ったら、『よかったねえ』と喜んでくれて。ところが、23日の夕方、突然亡くなってしまったんです」
雄嘉造さんが亡くなった後、ユキさんはよく「もう私しかいないから」と言っていたという。恐らく、嘉伸さんが継ぐつもりだと知らないまま他界してしまったのだ。それは嘉伸さんにとって心残りだったが、鍾乳洞とキャンプ場を放っておくわけにはいかない。腹をくくり、翌月には2代目として経営を引き継いだ。