時は、1960年。嘉伸さんによると、林業に携わっていた雄嘉造さんは大岳のあたりによく出入りをしていたそうだ。近隣の人は今の大岳鍾乳洞があるところから、冷たい空気が流れ出ているのを知っていた。ただ、そこに興味を持ってなにか行動を起こす人は、いなかった。雄嘉造さん以外は。
ここになにかある! と直感した雄嘉造さんは、地主の許可を得てその年の12月に探洞工事に着手した。工事といっても、山の斜面で大きな機械など使える場所ではないので、手掘り(!!)で掘り始めたところ、鍾乳洞が現れた。それをさらにガンガン掘り進め、1961年4月には全長180メートルのコースが開通する。
地主は鍾乳洞に興味がなかったそうで、雄嘉造さんがオーナーとなり、同年8月、妻のユキさんとともに見学を受け入れ始めた。同時に再び工事をスタートし、10月に全長300メートルの一周コースが完成した。ちなみに、大岳鍾乳洞は全体で1000メートルほどの規模があり、一般公開されているのはその一部だ。
大岳鍾乳洞の入り口に掲げられた掲示板によると、1965年に洞内の実測地図が作成され、「保存が良好であること、学術上貴重であること」から、翌年の3月、東京都教育委員会より、天然記念物に指定された。
大岳鍾乳洞があるのは、周囲を緑豊かな山々に囲まれた「秋川渓谷」と呼ばれるエリアで、都心から90分程度で釣りや川遊び、ハイキングが楽しめる穴場だ。そこに誕生した大岳鍾乳洞は新たな観光地として話題になり、多い時には1日に1000人以上の観光客が来たという。