未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
188

『旅の思い出』編 船乗りたちの栄枯盛衰物語 江戸時代から続く「宿根木」を歩く

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.188 |25 June 2021
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#4江戸時代のamazon

「廻船」は、はるか江戸時代に発達した海上運輸である。文字通りに日本列島の周りをぐるぐるしながら、港から港へと進み、人や貨物を運ぶ。現代の宅配便のような存在だろう。

「廻船」が発達するきっかけになったのは、日本人の主食である米だ。米の産地から大阪や江戸に米を輸送するために江戸幕府が作ったシステムが「廻米」であり、その米を運んだのが廻船だった。

17世紀後半まで、廻米のルートといえば、東廻航路と呼ばれる太平洋側の航路か、日本海側の海路と陸路を組み合わせたルートだった。しかし、後者の海路と陸路と組み合わせたルートは荷物の積み替えなどで莫大なコストがかかった。そこで、コスト削減に取り組んだ幕府は、より安全な日本海を進む西廻り航路というルートが開発。そこでは、米の産地である東北の米を山形の港から船に積み、一度、佐渡の南端にある小木港に寄港。そこから能登半島、そして紀伊半島をぐるりとしたあと、江戸に入った。その重要な中継地点である小木港は、宿根木のすぐそばにあった。

この西廻り航路と共に台頭したのが、北前船(きたまえぶね)と呼ばれる船に乗った商売人たちだ。いつの時代も商魂がたくましい人はいたらしく、北前船の船主たちは、各地で珍しい商品を安く買い付け、別の場所に移動し、日本各地で売ってまわった。つまりは、現在のamazonのような存在だ。

そして、いつの時代も珍しい品々を求める人々は絶えないらしい。おかげで北前船は、北前船オーナーたちに莫大な富をもたらし、北前船の寄港地だった宿根木もおおいに栄えた。

集落をぶらぶらと歩いていると、建物内部を見学できる「金子屋」なる場所を見つけた。昔の船大工職人の家で、宿根木が繁栄のピークにあった19世紀半ばごろの建物だ。入り口には誰もいないので、入館料の三百円を箱に入れ、中に入る。家のなかは薄暗いが、井戸や囲炉裏が残り、また立派な衝立や箪笥、仏壇があり、当時の暮らしぶりを伺わせ、興味深かった。

集落のなかには、この「金子屋」の他に内部が見学できる家が2軒ある。どの家も簡素な外観とは対照的に、中には漆を使った調度品や仏壇などがあり、かなりゴージャスな造りである。人々は海運業でもたらされた富を、家のなかの調度品などにつぎ込んだらしい。どの時代も人間というのはあまり変わらないのだ。

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