未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
188

『旅の思い出』編 船乗りたちの栄枯盛衰物語 江戸時代から続く「宿根木」を歩く

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.188 |25 June 2021
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#6地図を作った男、屋根を張り替えた女

集落のなかには「柴田収蔵の生家」もあった。こう書いたわりに、私はまったく聞いたことのない名前である(ごめんなさい)。また説明パネルを読んでみると、ぐっと興味が惹かれた。

  文政3年(1820年)宿根木に生まれた。蘭学のほか、医学、天文地理学を極め、37歳の時に江戸幕府の藩書調所絵図出役を命じられた。嘉永五年(1852年)に刷行された楕円形世界地図「新訂坤輿略全図」には、樺太・ニューヨーク・ボストンなど当時の最新情報が記され、研究の確かさがうかがえる。

その後も柴田収蔵は研究を続け、地図を作りに邁進した。なぜ収蔵は、地図作りなどにのめり込んだのだろう。今となっては想像することしかできないけれど、宿根木に住む大勢の船乗りたちを見守りながら、航海の安全を願い、また自身もいつか広い世界を見ることを願っていたのかもしれない。

ここまで宿根木の男たちについて色々と書いたのだが、この村の女性たちについても触れたい。そこで注目するのは屋根である。

高台からは特徴的な屋根の連なりが一望できる

宿根木の集落の屋根を見ると、薄く割った木の板を何枚も重ね合わせ、その上に石を置いてあるものが多い。これは、石置き木羽葺き(こばぶき)と呼ばれる宿根木独特のスタイルである。石を置いているのは海風で木羽が飛ばされるのを防ぐためだろう。見た目もユニークな木羽葺きは、とても面倒なことに2、3年に一度は張り替えなければならなかった。海に出ている男たちの代わりに、その屋根の張り替え作業を担当したのは女性たちだった。

この習慣は昭和30年代まで続いていたが、女性たちのアツい要望により瓦屋根にとって変わった。まあ、そりゃあそうだろう。廻船が廃れ、男たちが海に出なくなったのならば、なんで私たちが屋根に登らないといけないのよ、冗談じゃない、という気分だったのだろう。

というわけで、いまとなっては木羽葺きの屋根と瓦葺の屋根が混在しているが、これもまた美しい宿根木のスタイルとなっている。

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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