こんな海沿いの場所で、打ち付けられた木の板が江戸時代からおよそ200年も残っていることがそもそも不思議だった。
そこで村のあちこちに掲げられた解説パネルを読んでみると、「宿根木の家屋にはかつての船大工の技術が凝縮されている」とある。どうやらここは漁村ではなく、かつての船乗りたちの集落だったようだ。しかも、家の材料には造船用の材木もよく使われていたらしい。だから家が通常よりもずっと長持ちしたのだろう。
さらに気になったのは、よりにもよって、なぜこのような地の果てみたいな場所に集落ができたのかということだった。私からしたらまったく便利には思えない。
すると、「そんなあなたの疑問に答えますよ!」と言うかのように、集落の歴史を説明する看板が燦然とあらわれた。
それを読むと、ふむふむ、なるほど、と腑に落ちた。
実は不思議でもなんでもなかった。
ここは遡ること江戸時代、「廻船」と呼ばれる船の寄港地だったのである。