青森県弘前市
青森県の西半分を占める、津軽地方。長く厳しい冬がある一方で、山、森、湖、海など手つかずの自然に囲まれた豊かな土地でもある。縄文時代から中世、近世にかけて、この地に根付いた人々は、独自の生活文化を築いた。農村で育まれた食もそのひとつ。昔ながらの津軽の味覚を求めて、弘前へ。
最寄りのICから【E4】東北自動車道「大鰐弘前IC」を下車
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訪れたのはちょうど、りんごの季節だった。真っ赤な収穫物を山積みした大型車が街道を行き来し、大量の木箱を積載したトラックが全国各地へと旅立つ。冬の津軽平野は豪雪地帯だから、秋が終わるまでが最盛期。生産者だけでなく、運送業、農業資材関連業、金融業、飲食業と、りんごに関わる人々が忙しく動き回っている。
青森のりんごは、明治時代初期に政府から配布された三本の苗木を植え付けたことに始まる。以来、研究熱心な農家によって試植と育種が繰り返され、やがて「りんごを中心に経済が回る」といわれるほどのシンボルになった。
津軽半島に位置する五所川原から南下して、縄文時代の見事な土偶と対面したり、天守閣を持つ城郭のような村役場に度肝を抜かれたり、町会ごとに異なる源泉を持つ町でいくつものお湯に浸かったり。そうして私は青森県南西部の町、弘前へやってきた。2017年のことである。
ふらりと入った居酒屋でひとりラジオに耳を傾けると、演歌が流れていた。「名曲『津軽海峡・冬景色』ですが、青森の風景こそ描かれているものの、津軽人の日常を歌ったものではありません」とディスクジョッキーが力説している。続いてオンエアーされたその曲を注意深く聞いてみると、石川さゆりが歌い上げていたのは、悲しみに暮れて東京を発った女性が、青森から連絡船で北海道へ帰る旅路だった。