したたるほど真蒼(まつさお)で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣(ひとえ)の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟(せんけん)たる美女ではある。(原文ママ)
青森県金木村(現・五所川原市金木町)出身の太宰治が、自らが生まれ育った土地を巡った紀行文「津軽」で、岩木山をこのように褒め称えた。市街地の高台でも郊外の田園地帯でも高速道路でも、旅のあいだずっと、端正な姿をした山が、ふわりと空に浮かび上がるように佇んでいることに、当然私も気がついていた。
面白いことに、どこから眺めるかで、その印象はすいぶんと異なる。実際に太宰は、弘前あたりから見える山容を「いかにも重くどっしりとして、岩木山はやはり弘前のものかもしれない」と書いている。いま私の目の前にそびえ立っているのは、その「いかにも重くどっしりした」岩木山である。高層ビルやタワーマンションを見上げて暮らす自分にとって、重厚な自然の造形を眺めながら生きる津軽の人々が、どうしようもなく羨ましく思えてくる。
ここで津軽の旅を終えようとしていた私であったが、どうしても行かなければならない場所が残っていた。この土地では一風変わった食文化が芽生え、静かに継承されてきた。土地の人々のソウルフードとして愛される一方で、一時は絶滅が危惧された「津軽そば」だ。私はその味覚を確かめるべく、100年以上続くというそば屋へと向かった。