石垣さんは女性農業士になる前にも、手打ちそばの会を立ち上げて加工所を運営したり、果樹や野菜の移動販売をしていた。移動販売では、お得意さんの会社の昼休みに合わせて、販売に行くこともあったそう。直に反応がもらえる直売はやりがいがあったし、新鮮な地元の野菜が求められている実感や、細かいニーズのつかみ方が、その後、実店舗をオープンする際にも役立ったという。
まずは正攻法で、仲間の女性たち100人の連名で、常設直売所の設立の嘆願書を市議会に提出。しかし男性議員の反対で却下となり、「すごく悔しくて泣きましたよ。でもここで諦めたら、また『女だから』となる。それは嫌だから、自力で直売所を開こうと動きました」(石垣さん)
直売所は、任意団体「友の会」を設立し、メンバー88人の地元の女性たちが3万円ずつ出資してできたものだ。「3万円は農家のかっちゃ(母さん)にとっては大金。1度に持って来た人はいなかったですね。少しずつ、2年かけてみんなで出し合ったの」と石垣さん。
経済活動はすべて家長である夫経由という時代だったから、女性たちはみな、当時は自分の名前の通帳を持っていなかった。このときはじめて、1人ひとりが直売の売り上げ用に自分の通帳を作ったという。
「88人いたって財産のないかっちゃだけでは、店舗は貸してもらえなくてね。最後に判を押してくれたのは、うちのとっちゃ(父さん)。ありがたかったし、絶対迷惑かけられないと思った」と振り返る。
かくして『陽気な母さんの店』は、15年の賃貸契約を結び、2001年にオープンした。「当時、横文字が流行っていてね。チアフルマザーズショップって案があったんですよ。それを日本語にして、陽気な母さんの店。『陽気な母さんいるか?』ってお客さんが来たり、一度聞いたら忘れられないって言われるから、この名前にしてよかったね」