取材日は『陽気な母さんの店』の1年に1度の総会の翌々日で、「やっと一息つけるとこ」と、石垣さんが総会資料を片手に話を聞かせてくださった。
石垣さんは、『陽気な母さんの店』の3代目代表であり、社長。2015年に店が株式会社化するときに代表になったが、直売所の立ち上げの中心メンバーでもある。若い頃には、まさか自分が「社長」になるとは夢にも思わなかった、「普通の農家の母さん」だったと石垣さんは話す。
石垣さんは兼業農家の生まれで、若い頃から農家であること、農業を営むことに誇りを持っていた。20歳のときにりんごやなしを育てる専業農家に嫁入りして、一生懸命働いてきた。「子どもの頃は週末に家族みんなで農作業をするのが楽しくってね。朝ドラの『おしん』みたいな感じだったけれど、それが普通でしたよ。専業農家に嫁いだのも嬉しくって」(石垣さん)
いきいきと働く両親の背中はきっと眩しかったのだろう、石垣さん夫婦の長男は中学2年生の時の作文に「父を超える農業人になる」と夢を書いたそうだ。当時の担任がこっそり石垣さん夫婦にその作文を見せ、2人は少しずつ耕作面積を増やすことを決意。「次世代に農業を継いでいく」ということを強く意識するようになっていく。
やがて、秋田県で2人目の女性農業士になった石垣さん。海外研修の機会を得て行った2週間のイギリス、ドイツへのアグリツーリズムの視察中出に会った言葉にガツンとやられた。「日本の女性は男の三歩後を歩くと言われるけど、それは慎ましいのではない。一緒に経営をしていくパートナーとして、意見も言って責任も負うべき」と。
20年以上前の日本の農村は、男性優位な社会の典型だった。しかし、石垣さんは多くの農家の母さんたちと手を取り合って、不条理にも思える状況に立ち向かっていくことになる。