未知の細道
未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。
155

「これからもきっと変わらない」港町に、幸せのカタチがあった 真鶴半島の「泊まれる出版社」

文= 川内有緒
写真= 川内有緒
未知の細道 No.155 |10 February 2020
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#4世界を旅した。幸せを探した。

友美さんと川口さんはともに首都圏で青少年時代を過ごし、東京の大学で出会った。ひとつの共通項としては、川口さんも友美さんも小学校高学年以降を「ニュータウン」に暮らしてきたことだ。
ニュータウンとは、その名の通りに都市計画のもとに整備された新しい街で、コミュニティも近隣づきあいも薄かった。特に友美さんは、転校生だったこともあり、学校にも街の雰囲気にもなかなか馴染めなかったという。

初めは小さなカケラに過ぎなかった街や暮らしへの違和感。それが決定的になったのは、友美さんが大学生のときだった。サークル活動でフィリピンの農村を訪れた。水も電気もなく生活する人々を支援するために行ったはずだったが、その豊かで美しい生活に逆に衝撃をうけた。
「その村に住んでいる人は、笑っている時間がすごく長いんです。食事の時間とか家族の時間とか、みんな楽しそうで。地域との繋がりも強くて、ちょっと歩けば知り合いに会うような感じで。それを見ていたら、自分がいままで思っていた幸せの価値観はちょっと違うのかなと思うようになりました」
美しい棚田の風景のなか、子どもたちはのびのびと遊び、大人もゆったりと過ごしている。友美さんはそんな村の暮らしに居心地の良さを覚えた。
大学を卒業すると、青年海外協力隊に応募。タイの小さな街に赴任した。たくさんの友人や近所の知り合いができ、楽しい時間は瞬く間にすぎていった。

一方の川口さんは大学卒業後、IT企業で企画職をしていた。しかし、東京の会社員ライフそのものに違和感を抱いていたという。
「就職するときはやりたいことが見つかっていなかったので、とりあえず“働きやすさ”という基準で会社を選んだんです。おかげで、すごく働きやすい会社だったんですが、逆にこのままずっと会社に居着いてしまうのではないかという危機感が芽生えました」
そのとき、川口さんがとった行動がおもしろい。『WYP』というリトルプレス(雑誌)を自費出版で作りはじめたのだ。旅先で見た“普通の人”の生き方や生活を紹介するもので、インドやデンマークなど多様な国の人々が登場する。川口さんもまた自分なりのやり方で、居心地の良い暮らしや幸せの形を探していた。

こうして、互いに世界を旅しながら交際を続けていた川口さんと友美さん。27歳になったふたりは、それまで培ってきた仕事の経験や生活をいったんリセットし、移住先を探しはじめた。
「自分たちが世界で感じてきた人との繋がりや居心地の良い暮らし。もしかしたら、日本でも地方にいけば、そういうものが残っているかもしれないなと思ったのです」(友美さん)

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「未知の細道」は、未知なるスポットを訪ねて、見て、聞いて、体感して毎月定期的に紹介する旅のレポートです。
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