何年か経つと、今度はパリにフランス初の国立サーカス学校が設立された。イクオさんも講師として声をかけられ、パントマイムを教えはじめた。ちなみに、サーカスはフランスで「シルク」と呼ばれ、伝統的な芸能ジャンルのひとつだ。現在では、フランス国立サーカス学校は入学するのが非常に難しい学校である。
「そんな初の国立学校で日本人が教えるってすごいことですね」
そう思わず言うと、「いやあ、そんなこともないよ! フランスってけっこういい加減じゃない? はっはっは」とイクオさんが笑うので、私も大笑いした。私も以前はフランスに住んでいたから、よくわかる。そう、フランスという国は良く言えば柔軟、悪く言えばとってもいい加減なのである。
しかし、その分フランス人はアートへの理解は深く、またそれぞれが自分を表現することに貪欲だ。表現者に対するリスペクトも強いので、アーティストなど、表現者にとっては居心地の良い国である。
そして、フランスのもうひとつの特徴は路上文化だろう。広場や橋の上など、街の至るところにミュージシャンや大道芸人、絵描きがいて、表現者とそれを見る人が日々交差し、お互いに刺激しあう。ある意味で、街の全てが劇場なのである。そういう環境で過ごした歳月は、イクオさんに大きな影響を与えた。
やがて、いつまでも日本に戻らないイクオさんに業を煮やした恋人(のちに奥さん)もフランスにやってきた。そして、その恋人が妊娠したことをきっかけに二人は日本に帰国。1年のつもりのフランス生活は、振り返れば10年に。